イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

だからあんた、三流におなりよ

今週も楽しくお仕事してきた。(決めセリフ)

よし。

 

今日は研修の講師役をするなどのお仕事をした。

入社半年足らずの新米がそんな大層なことをしてもよいのかと思いもしたが、望まれるのならばやるのみだ。

 

結構に準備をして、結構に試行錯誤して、結構に熱心な姿勢で臨んだ。

結果としては、落第ではない点数に落ち着いたかなといった塩梅だ。

 

正直、公開することは多い。

もっとこうすればよかったという反省点は、こうして記事を書いているうちにもどんどん湧いて出てくる。

 

後悔し、反省するのは三流のすることなのだと思う。

僕よりも強い同年代の同僚は、アドリブのできる一流だと思わされる。

 

懸命にシミュレートし、先に後悔を潰すのは二流のすることだ。

一流は、それを自然体で実現している。

 

きっと、最初から一流のやつなどほとんどいないのだ。

それは超一流というやつで、そうであることを望むのは分不相応というものだ。

 

ならば、僕は三流から始めねばならない。

いや最初から三流であることを目的にするというわけではない。

 

僕は三流がスタート地点なのだという自覚を持たねばならぬ、ということだ。

そうせねば、僕は見上げることよりも先に下を見ることを覚えてしまいそうで怖いのだ。

 

前に進めばいいと思っていたが、どうやら進む先にも上下があるらしい。

これは本当に困ったことだ。

 

岐路に立ちなくはないし、マクロが複雑化するのは避けたいところだ。

大極はシンプルであってほしい。

 

だから今日の気づきは、僕にとっての毒なのだ。

そして、それは飲まねばならぬものだ。

 

一口目に舌が痺れたのなら、次は咽る番だ。

その次に飲み込み、そしてその次に味わうのだ。

 

幸いにも毒を飲む機会は、また一週間後にやってくる。

僕は一流になりたい。

 

飲むべきでない、見上げるべきでない高みを目指しているのかもしれない。

それでもそうしたいの願ったのだから、間違ってはいないはずだ。

 

それを成すと決めたのは僕で、それを為すのは僕なのだ。

ならばやるのみだ。

 

一年前に繰り返した祝詞を、今でも反芻することができている。

その呪いを祝いに変えて、今週末に休むこととする。