アマプラ解約星人
今日も楽しくお仕事してきた。
同期の尻ぬぐいタスクがなかったので、ちゃんと楽しくお仕事できた。
見下すということは、とてもエネルギーが必要な行為だ。
格付けを行うのは至難の業で、それがなされるということは、とても疲れる環境なのだ。
人は不平等だし、同一の人間がいない以上、どこかで優劣というものは発生する。
しかしてその優劣が、正しく格の差につながるわけではない。
優秀さを定量的に扱うと、必ずどこかでトレードオフが発生する。
何かをできる人間は、どこかで何かを犠牲にしている。
僕は共感力が高いが故に、心の機微に疎くなってしまった。
感じられるが、理解できない訳である。
それは理解する訓練を怠ったツケでもあるし、空想に耽り続けた成果でもある。
そこに優劣をつけることに、なんの意味があるのだろうか。
さて、これが仕事になると、すこし困ったことになる。
成果がものさしになると、優劣を決めることが当たり前になってしまうのだ。
本当に困ったことに、人は不平等だから、できること、やれることの総量もベクトルも大きく異なる。
結果として僕が出せる成果が、他の誰かよりも大きなものになることもある。
もちろん、その逆もある。
要は同期と僕とで一種の格付けがなされていることが、僕は嫌なのだ。
そもそも格付けをするのなら、僕は先輩方とは比較にならないほどに劣っている。
比べやすいことは、悲しみを生みやすいのかもしれない。
そこそこ年が近くて、そこそこ気が合って、でも出せる成果の量には差があって。
僕はそういう比較の果てに大学院をやめたという認識がある。
高専時代の同期は本当に優秀なやつが多かったし、そんな環境下で劣っていく自分を嫌いになることは、それほど難しいことではなかった。
よくある話である。
そして、今度は僕が比較される側になってしまったということだ。
きっと今の同期との環境に不快感があるのは、僕自身が彼を比較対象にしているせいでもあるのだろう。
見下すためのコストを、心のどこかで払ってしまっているのだ。
この嫌な心の動きを、どうすれば解消できるのだろうか。
うーん。
やはり僕は見上げることの方が好きなのかもしれない。
まぁ慣れか、もしくは何かの介入を経て、自然と解消されることだろう。
どのみち時はすべてを運び去るのだ。
そんな感じの1日だった。
そういえば、アマゾンプライムを解約した。
不要になってきたし、konozama化してきてサービスもあまりよくないので、今が切り時である。
Twitchのサブスク権もひとつ減るが、まぁいいだろう。
もともと金を落とすために配信にいるのではないし、それはしたい人がすればよいことだ。
まぁ固定でサブスクするとこには金を落とすのだが。
それは本当に一部のものである。
具体的には、今後は2箇所にしかサブスクをしないだろう。
彼らよりも面白い配信が見つからない限りは。
なぜこんなことを書いたのかというと、明言しないと惰性で金を使いそうだからだ。
偶像に入れ込むには、自由でなければ。
僕はくだらないものが好きなのだ。
逃げようとする姿に惹かれるのだ。
自然体で流される者に、憧れるのだ。
本気で現実逃避している奴らをみると、敵わないなと思う。
これは悪口なのかもしれないが、僕はそれを見て嬉しさと悔しさを肴に、酒を飲むのがたまらなく楽しいのだ。
とかなんとかポエムでごまかして、Twitch上の関わりを薄くするという発言をした。
やっぱりインターネットは汚く使うべきである。
その意思を忘れないように、明日もWEBに駆けるエンジニアとして輝く所存である。