空気の調律師 エア・コンダクター
今日も楽しくお仕事してきた。
クソほど文書とにらめっこしていたが、最後に勝ったので大団円である。
定型業務の内、同期がやっていたところを引き継いだりもした。
お咳が出ているようなので、お病院に行ってくるとのことだった。
業務を引き継ぐ際に、チケットが何も整理されていなかったのが本当に最悪だった。
業務内容として重複のあるものや、すでに解決済なのに閉じられていないものが混在しており、本当に最悪だった。
多少パソコンの扱いに長けていても(とはいえプロフェッショナルとは言えないくらいだが)、文書を残せないのは本当に致命的だ。
ドキュメントに関わるエラーをそこそこ引き起こしていて、そのたびにドキュメントを丁寧に残そうという結論になっているのに、それが改善されないのだから恐ろしい。
いや改善を押し付けるのは僕のエゴイスティックなのかもしれない。
彼がドキュメント作成をできないことと、僕の仕事のクオリティに影響があることを、一括にしてしまっては、僕が変化する余地がないだろう。
暗黙知のままになっていることを、明確に文書化していれば、防げることは多かった。
文書を作るための文書というものが、欠けているのだ。
いやそんな自己参照をしていたらいつまで経っても書けないだろという指摘も、もっともだ。
正直、文書は書かないやつが一番悪い。
専門的な、もしくは複雑な物事に関わるコミュニケーションは、努力によってのみ支えられている。
巨人の肩にフリーライドしてドキュメントを軽視するのは簡単だが、巨人も生物で寿命が存在する。
どこかでそれを継がなければ、技術的負債は自然言語の形で積み上がる。
それを解消する術は、とにかくメンテナンスを続ける以外にはないのだ。
そういう意味で、僕は彼の仕事が許せないのだ。
成したことを言葉にできないのだから、成したことが暗黙知として引き継がれていく。
そして腐った暗黙知は、次に同じことをする際に未練として足を引っ張るのだ。
昔できた自分と、今できない自分のギャップを埋めるため、筋の通らない手法に訴えるのだ。
そういう惰性の果てに、今日の僕のタスクが沸いてきた。
だから、本当に最悪なのだ。
それでもやらねば、僕は僕を誇れない。
振るえる剣があるのなら、その刃を信じるのみだ。
そんな感じの1日だった。
明日はまた違ったタスクをするのだが、その前に引き継ぎを済ませる必要がある。
不快なタスクを成すのは不本意だが、自分が病院に行くことになったら押し付ける側に回るのだから、やっておくべきだろう。
そして嫌でも、楽しむのだ。
快くなくても、後に続く者にそれを継がないためにも。
そういう人間になると、そう決めたのだから。