イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

毒を持って咲いたなら

今日も楽しくお仕事してきた。

理不尽を知ったりなんだりしたが、最終的にはそのおかげで美味い飯が食えているので良しとする。

 

お腹いっぱい食べられることは良いことだ。

ましてやそれが美味ならば、歓んで口にさせていただくのが礼儀だろう。

 

さて、僕はどうやら普通でないというのはよくよく理解することができているのだが、それにもましてゲテモノであることもまた、少しずつだがわかってきている。

とりわけ人のことを理解しないくせに、己のことを省みれないあたりは特にモンスター的性質であると言える。

 

要は毒を持っているということだ。

人に対し、悪く見せることを良しとすることが、基本的な振る舞いのうちに含まれている。

 

期待値をコントロールする術はシンプルで、目に見えるところだけを変えれば良い。

それだけで、多くの物事の真実を覆い隠すことができる。

 

僕は、こと僕のことにおいて、その真実を隠蔽することに長けているのかもしれない。

僕は嘘をつけない人間であるが、真実を知っているわけではない。

 

だから僕はいい加減なことを喋るし、言説もころころと変化する。

そしてその口から語られる言葉はすべて、僕にとっての事実である。

 

だから、僕は真実の僕を解せないのかもしれない。

なぜなら答えを知らないのだから、解にたどり着くこともまたないのだ。

 

恐ろしい話だが、僕は僕を規定することでしか、その輪郭を掴むことができない。

視線は僕の目の位置にあるというのに、その不条理がこうした自己矛盾を育むのだ。

 

大体の場合、僕という存在はあまり良くない結果をもたらす。

察しは良いし頭も回り、気配りもでき、良く発言をするし嘘をつかないが、バイタリティがなくて気が抜けており、冷酷で地雷を踏み抜きがちである。

 

それは劇物であり、毒である。

僕という生命は、組織という生命にとって毒となる可能性が高いのではないかと、そう思うときがある。

 

それでも僕は、醜く咲くことを決意したのだ。

それを良しとする人の下に、そうして集ったのだ。

 

どうやらまだ僕は、必要とされているようである。

変質してもなお、受け継がれるものがあると、そう信じられているようである。

 

ならば醜いなりにそれを誇りに変えて生きねばなるまい。

毒はすでに身体と精神を蝕んでいるが、それでも動くのならば、それは誇るべき強靭だ。

 

とまぁこんなポエムを書いたのは、やはりお仕事で闇を抱えたからなのだが、どうにも闇というものは僕と相性が良いらしい。

怒りと悲しみがないまぜになっている状態で、カオスなことをよりカオスにすることが、僕にとっての天性なのかもしれない。

 

それでも問題が解決に向かうのだから、劇物なりの薬効というものもあるのだろう。

そのようにして貴ばれるのも悪くはない。

 

願わくば、それが血を見ることないようにと、そう祈るばかりだ。

 

そんな感じの1日だった。

どんな感じだよって思うが、そんな感じの1日だったので他に言うこともあるまい。

 

あとは、昼に食ったお弁当も美味かったことくらいか。

飯が美味いことは、本当に良いことだ。