喋ってると本当の自分が出てきて一人でいると自分を偽りはじめる
本性とは動的な概念である
人間の本性とは動的で,様々な要因に基づいて刻一刻と変化していく.
確固たる何かが静的に存在しているのではない.
少なくとも僕にとって,それは真実であるようだ.
コミュニケーションを取らないと,僕は僕を偽っていくような気がする.
一人でいると,とにかく自分を誤魔化して偉大なものにさせようと様々な言い訳を取りたがるのだ.
僕は嘘がつけない人間だ.
誰かを騙そうとすることができず,やろうとしてもすぐにボロが出る.
コミュニケーションの一貫としてのドッキリならできるけど,それは虚実ではなく真実として楽しむためのものである.
人の前では,嘘はつけない.
本性とは動的なもので,そして人間関係もまた動的なものだからだ.
その中で本性を隠して生きるのは相当に難しいから,誰かと居るときの自分は,真実として自分なのだ.
だが他者が居なければ,僕は何者にもなれないし,何者であることもできてしまう.
幻想がリアルと融合し,物質として存在している自分と,空想上にある自分が地続きにある1つの存在に溶け合っていく.
僕は一人でいるとき,実体として持っている本性をこれでもかというほどに押し隠して生きている.
さて,こんなことを思ったのは,ボイチャをつないでLoLをプレイしているときであった.
人と喋っているときの自分は,自己評価として僕が僕に与える「内向的な自分」とはかけ離れたほどにおしゃべりだ.
思いついたネタをポンポンと口にしていくし,とにかく自分が面白いと思ったコンテンツはどんな形であれ共有しようとする.
アイデアマンではないのだと思うが,一見無価値な何かからなんらかを取り出して言葉にすることで,場になにかのエンタメを用意しようとする癖があるのだ.
今こうしてブログで悶々としている自分とは正反対の性格をしているな,と思う.
同じ存在が同じ記憶と体験を共有しているのに,今一人でいる自分はどこまでも虚構に生き,どこまでも虚無である.
コミュニケーションを失うと,僕はなにか別の生き物にでもなったのではないかと思ってしまう.
この空想の世界に生きている自分は,真実として社会不適合者の人格のそれだ.
現実に則した思考で物事を考えることなく,法則を超越したなにかファンタジーの世界に生きる思考体に成り果てる.
きっとこうした両面性は,誰にでも存在しているのだろう.
意識的にか無意識にかはわからないが,それぞれ上手に付き合って社会に適合しているのだ.
この2面性が奇妙な形で融合しているときが,おそらく危険な状態なのだと思う.
僕の場合は,コミュニケーションを自己中心的に支配しようとしたとき,幻想に生きている思考体が実体である僕の存在を乗っ取ろうとするのだ.
それは空想の思考で相手を捉えようとしていることの現れで,真摯に相手を捕捉しようとしていない状態なのだ.
端的に言うと,相手をナメている状態といえる.
そうなると,僕はその相手に対して自分を偽り始める.
だから,虚実を相手に押し付けているとき,僕はどこまでも自己中心的な存在なのだ.
そんなことを悶々と考えていたので,今日はそれを記事にした.
僕が理解するための言葉なので,これを読む他者に理解される文書とは思っていない.
だが,僕にとっては重要な内容なのだ.
そう言えばプライムデーで買ったmi band 5が届いたので,使ってみた.
機能の一つに睡眠状態の評価もあったので試してみた.
どうやら僕は「深い睡眠」の時間が下位6%くらいしかないらしく,眠りが浅いようである.
ストレスが大きかったり,不安が強かったりするとこうなるらしい.
データは嘘をつかないので,僕のストレスはなかなかに大きいようだ.
今日はお酒を飲んだ.
久しぶりの晩酌だ.
以前ほど,お酒を美味しいとは感じなくなっている気がする.
明日はアルバイトがある.
睡眠状態の評価をしつつ,良い状態で仕事に臨もう.