オマエ サイヨウ オレ シューショク
ビジネスマナーは疲れる
文面上でへりくだりたくない.
理由は簡単で,それを文章に書き起こすとめちゃくちゃ疲れるからである.
尊敬語は,口にしている分には簡単だ.
多少言葉遣いをミスしても,へりくだっている様子を見れば相手も納得してくれる.
そこに丁寧語が混じっていても,さしたる問題ではない.
リスペクトを前提にコミュニケーションしているのだと相手に伝わるのであれば,言葉遣いが完璧でなくとも,口頭で話す分には問題は一切ないのだ.
だがそれがメールになると,途端に困ったことになる.
言葉遣いには明確な正解が存在する.
そしてメール文は推敲が可能である.
だから手間と時間をかければ,正解の文章を生み出すことができてしまう.
これは非常にストレスの溜まる問題だ.
なにせ文章を直そうと思えば,いくらでも直せてしまうからだ.
こと就活において,この問題は更に大きな意味を持つことになる.
就活市場がいくら売り手市場と言われていても,求人という本質的に,企業は受け身であり,就活生が能動的に動かなければならない事実に変わりはない.
だから就活生は自分から企業の求人に対して何らかのアプローチをかけることになる.
それがエントリーシートであったり,メールであったりする.
そう.書類提出の期限までなら,就活生はいくらでも文章を推敲できてしまう.
特にファーストコンタクトを取りにいく場面においては,ことさらストレスになる.
なにせ相手の性格や有り様を知らないのだから,コミュニケーションは消極的にならざるを得ない.
だから初手は,とにかく丁寧に丁寧に,ミスのない完璧なコミュニケーションを取ろうとしてしまう.
その結果,ファーストコンタクトを取るまでの労力が最大化され,またそこにかかる時間も増大することになる.
これは非常に危険で,そして根深い問題である.
なにせ就活生はいろいろな企業を見て回りたいと思うはずなのに,1つの企業に対して割かなければいけないエネルギーが無尽蔵に増大していくのだ.
就活に使えるエネルギーには,限りが存在する.
だから僕のような就活生は,自分の望みと裏腹に,これと決めた1つの企業に対してしか強烈なアプローチができなくなる.
そしてその現実を知ってしまうと,次はさらに大きな病巣を自身の中に作ってしまうことにもなる.
端的に言うと,エントリーする企業の選定に時間を割くようになる.
当たり前である.
1社の選考に割くエネルギーが膨大すぎるから,その分エネルギーを割く相手は慎重に選びたくなる.
だから企業選びにすら,膨大なエネルギーを割き始めてしまう.
結果として,就活生が受ける事のできる企業数は際限なしに減っていく.
何社も受けて,トライ・アンド・エラーで自分の居場所を探したいのに,構造としてそれを許容できないのが,今の就活システムの大きな問題だ.
選考の入り口におけるコミュニケーションの壁が厚すぎるため,真面目な者であればあるほどにその道程は遠のく.
就活市場において,真面目なやつはどこまでも損をし続ける.
なにかの物事を突き詰められる人間は,その癖が足かせとなってしまう.
リスペクトの精神が薄く,適度に誤魔化せる人間が,この就活市場を先にくぐり抜けていく.
こんなに残酷なことが,あっていいのだろうか?
僕ほどに真面目で,真摯で,ユーモアもあって,そんな人間が苦悩しなければいけないなんて,あまりにも酷すぎやしないだろうか?
僕は生きるために生きている.
必死こいて今を生きて,必死こいて試行錯誤してるのに.
なぜ就活ごときにこれほどまでのエネルギーを割かなければならないのか.
まぁ何が言いたいかと言うと,もういい加減にビジネスマナーとかいうやつをこの世から消し去ってくれということである.
あんなもののために必死こいてエネルギー割いてる暇があるなら,その時間で飯食って風呂入って寝て,QoLを爆上げするために生きるべきなのである.
いや本当に.
履歴書送ってきた
今日はエントリーする企業に対し,履歴書を送ってきた.
都合3社分である.
メールの文面を書くのは,本当に気が滅入る.
尊敬語を使わなきゃいけないし,同じ語尾だとテンポが悪いし,一文が長いと正確に情報が伝わらないし.
添付ファイルもチェックして,完璧なメールを仕上げて,そこから推敲して,ようやく送信できる.
たかだか150文字程度の文章を書くだけで,1時間以上をかけてしまった.
送り先は3社なので,単純計算で3時間である.
使いまわしがあるとはいえ,送るたびに何度も文章を見直した.
だからとんでもない時間がかかった.
ここまで2000文字を書くのに30分とかからなかったのに.
履歴書送るのにたかだか150文字で1時間だぞ1時間.
ふざけるなよバカが.何がビジネスマナーだよ.
これを考えたやつは本当に地獄に落ちればいいと思う.
いやもしかしたら,相手の企業もそう思ってるのかもしれない.
それでも僕は,尊敬語でガチガチに固めた文章を相手に送ってしまった.
僕はビジネスマナーに迎合している,悪い人間だ.
僕が大人になったら,せめて自分に対してだけはビジネスマナーを適用しなくてもいいよと言える人間になろうと思う.
形式上の尊敬に,なんの意味があるのだろうか.
僕は敬われたくない.
いや,敬いたいと言ってくれるのなら,敬ってもらっても構わない.
それでも僕は,誰かの主観に映る僕を,僕の意思で誤魔化したくはない.
僕は,等身大の僕で居られれば,それで構わない.
どうやら僕は,受けた痛みや負の感情を,良い感情に変換して出力できる妙ちくりんなブラックボックスが精神の中に組み込まれているらしい.
その論理回路はそうとうにカオスな構造をしているようだが,まぁまぁ有用そうな気がしている.
あまりにも僕を救わない思考回路だが,まぁ持って生まれてしまったのだから,しかたがない.
せいぜい便利に使うことでしか,その救われなさを救う方法などないのだ.
そして負の感情を良い感情に変換できるのならば,それをアウトプットしていかなければならないだろう.
そうすることが,僕のためにもつながるはずだ.
誰かが僕を責めた分だけ,僕は他の誰かを愛せるようになろう.
僕を苛むシステムに打ちのめされた分だけ,誰かにやすらぎを与えられるシステムを生み出せるようになろう.
それはきっと分不相応な願いなのだろうが,願う分には問題あるまい.
せいぜい僕への呪いが1つや2つ増えるだけなのだ.
そして僕はそれを祝福と呼ぶと決めた.
ならきっと,明日の僕ならば大丈夫なはずだ.