就活アウトロー採用のオンライン合宿してきたという話
就活アウトロー採用って何?
こんなキャリアイベントです.
要約すると
- 既存の就活をしたくない奴とか
- ドロップアウトして就活がキツイ奴とか
- とにかく心に傷を抱えてたり闇が深い奴とか
- そんな奴らは29歳までなら誰でもきていいよ
というサービスである.
ちなみに名前違いでダイアログリクルーティングというのもある.
どちらも中身は同じである.
NPO法人が主催する事業で,内定が発生するとお金が事業主に入るシステムらしい.
内定率は例年1~2割程度とのこと.
何するの?
主催者の人曰く,「対話をする」就活スタイルであるらしい.
イベントの流れは次のとおりである.
- 説明会: イベントの説明,就活市場の問題の勉強,「対話」のやり方
- 合宿: 「対話」の訓練と実践
- ワークショップ: 「対話」の洗練とチームビルディング
- 企業とのセッション: 企業の人(匿名)を交えて「対話」
- 気に入った/気に入られた企業とコンタクトして選考
「対話」を通じ,相手を理解し,自分を理解することがイベントの主目的である.
就活サービスというのは名ばかりで,まず柱としてキャリア教育があり,その副産物として内定があるという趣旨のようだ.
現代社会は激動の中にあり,安心というものが急速に失われている.
正解がない時代において,試行錯誤と決断があらゆるところで求められるようになっててきている.
就活も同じであり,大企業に行ってゆっくりと腐るのか,中小に行って会社とともに死ぬか,スタートアップに入って廃人となるのか.
もちろん,大企業に入れば給与は良いし,中小は種類が多くてマッチしやすいし,スタートアップやベンチャーでは急速な成長が得られることだってある.
企業選びに正解はない.
どのリスクとリターンを選ぶかだけが,就活生である僕らに与えられた権利である.
大切なのは,自分で選ぶということである.
だれも僕の「安心」を保証してくれなどはしない.
信頼できる企業を自分で見極め,自分自身の答えとして自分の将来を決めなければならない.
「対話」を通じて多彩な価値観に触れて内省を加速させ,自分を理解し,相手を理解して,自分だけの答えを出す.
それがこのイベントの意義であり,参加者の目標となっている.
それを達成するためには,「対話」について馴染み,周囲の人を理解する努力をしなければならない.
合宿とワークショップの立ち位置は,まさにその訓練フェーズである.
企業の採用担当もまた,不確かな時代を生き抜くために信頼できる仲間を探している.
そのため,企業側も「対話」をする.
それが企業とのセッションであり,このイベントにおける僕たち就活生のメインディッシュである.
つまりは「対話」をしてみて,相手を理解して,自分を理解して,相性の良い企業が見つかれば良いね!というイベントである.
合宿では何やったの?
1日目は,自己紹介を6時間くらいかけてやり続けた.
2日目は,「信頼とは何か」について哲学的に対話をし続けた.
これだけだと宗教感がヤバいので,具体的になにをしたのかも語ろうと思う.
合宿1日目
合宿1日目は,ひたすらに自己紹介をしていた.
自分を知り,相手を理解するための対話として,自己紹介は有効なツールであるのだ.
内容としては,マンダラチャートを用いた自己紹介と,自己の体験を振り返りながら紹介するものとの2種類があった.
ごちゃまぜにすると大変なので順に説明していく.
マンダラチャート
合宿1日目の前半は,マンダラチャートを使った自己紹介をした.
マンダラチャートってなんぞやっていうと,9x9のマスに自分の特徴とかをキーワードにしてまとめたチャートのことらしい.
僕のマンダラチャートはこんな感じだ.
20分くらいで自分が思いつく属性やキーワードを列挙し,好きなものや趣向をさらけ出したものがこれだ.
合宿では4人くらいのグループを組んで,マンダラチャートをもとに一人10分程度で自己紹介をすることになった.
1セッション40分で,3セッションが実施された.
すなわち,自己紹介を3回ほど反復することになった.
10分の自己紹介は,自分から話すのは5分,質疑応答が5分という内訳になっている.
なんとなしに記入した項目が拾われて会話が弾んだり,自分がこだわって書いたことが上手く喋れなかったり,結構な発見があったと思う.
自分自身,つまらないなと思う特徴を書いたものだと思っていた.
ところが,そんな特徴をピックアップして褒められると,なんだかいい気持ちになってくる.
自己批判的な性格でも,自分の強みすることができるのだと知った.
お気持ちグラフ
合宿1日目の後半は,自分の人生の気持ちの浮き沈みを,時系列にして語るという内容だった.
言葉だとなんぞやって感じだと思うので,これも例に漏れず僕が作ったものを見せようと思う.
これも20分くらいで駆け足で作ったチャートである.
自分の人生をざっくりと思い返し,自分の生き方と感じたことを,このチャートとして出力した.
年刻みで僕の体験と気持ちの変動を振り返る,そのためのチャートだ.
思い返せば割と間違ってるところとかもあるけど,大体は自分の人生を表すことができているなと思う.
こちらも4人くらいのグループを組んで,一人10分程度で紹介した.
前半と同様に1セッション40分で,3セッションを実施した.
周りの話を聞くにつれて,自分という人間は結構特殊なメンタルの推移をしているなと感じた.
というのも多くの人は,人間関係をベースとして気持ちが変動しているようなのだ.
それに対して,僕は出来事をベースに気持ちが変動していた.
人ではなく,"こと"が僕にとっては重要だったのだということが,対話を通じてわかった第一の事実だった.
おそらく僕は,自分の中でずっと自分とコミュニケーションを取っていたのだと思う.
現実の自分と心のなかにいる自分がすれ違うときに,気持ちが沈んでいたのだ.
示して,話して,質問されて,初めて整理されることは多かった.
内省が進んだと同時に,他人もそれぞれの痛みを抱えているということを知れたのは,自分にとって非常に大きな意味があったと思う.
変化の当事者にならんとする者はみな,同じように激動の渦に飲み込まれて行く.
それでも前に進みたいと願う姿は,僕が一歩を踏み出す勇気をくれたように思う.
合宿2日目
合宿2日目は,「信頼とは何か」について哲学的な対話を行った.
やり方は1日目とほとんど同じで,4人くらいのグループで「信頼とは何か」について時間をかけて対話するという内容だった.
与えられたルールはシンプルであり,毎セッションの最初に1人1分で「信頼とは何か」について語り,その後40分くらいかけて対話をするというものだ.
この対話が始まった当初,僕は「信頼とは,信用と違って期待ありきではない形で依存できる気持ち」という意見を述べた.
まぁまぁこんなもんだろうというレベルのものだ.
対話では,信頼について自分の経験や背景を元に述べたり,逆にそうした話を聞いたりして,「信頼とは何か」を深堀りした.
抽象度の高い概念だったので,そこそこに脳がつかれたように思う.
対話を通じて得た最終的な僕の理解は次のようになった
- 信頼とは二者間における関係性である
- それは双方向的な概念である
- 信頼は一方通行で,それが2つあることで双方向的なものとなる
- 信頼関係があると,他者に対して正しく期待ができ,失敗を許容できる
- 信頼は行動や言動,すなわち自己開示によって生まれる
- 信頼にはキャパシティがある
- そのキャパシティはトレーニングできる
- 大きな信頼を生むことで,信頼のキャパシティは大きくなっていく
- 一方向に肥大化した信頼は危険を内包する
- それをマネジメントするために対話というツールがある
- これらは信頼という概念の一面に過ぎない
- "信頼"を信頼するためにも,対話をする価値がある
おそらくはこれのどれもが真実に”信頼”という言葉を説明しているわけではないのだと思う.
それでも,僕はこういう理解をしているということがわかった.
そして,他の人もまたどういうふうに"信頼"を認識しているのかも,対話を通じて知ることができたと思う.
僕は最終的な認識がアップデートされたが,人によっては自分だけの"信頼"の定義を堅持し続けていた人もいた.
その認識には差があるのだということを,僕たちは理解し合うことができたと思う.
自分が変わらなくても,相手も変わらなくても,対話を通じて理解し合うことができるのだ.
主催者からの答え合わせとしては,信頼とは主体的な行動により得られる関係性であるらしい.
信頼と似て非なる言葉に,信用と安心がある.
信用は一方通行的な概念である.
信用は実在性を伴い,一方通行で,システマチックなものである.
例えば,僕たちは貨幣というシステムを信用することはできるが,貨幣が僕たちを信用することはない,といった具合である.
また信頼と安心の感情的な状態も,似ているようで違うらしい.
人との近さは必ずしも信頼を生み出すわけではなく,例えば家族と信頼を築いているつもりでも,それは安心である場合もある.
安心社会は,変化に対応できない.
VUCAの原則に基づき,現代とは安心が損なわれている時代であり,安心を求め続けるだけでは生きることが難しくなってきている.
集団主義は安心をつくるが,信頼を破壊する.
信頼を得るためには,まず積極的に相手を信頼することが必要不可欠である.
そのためには自己を公開し,相手を理解しようとする努力が必要となる.
言葉で合意しても,思ってることが違うということはよくあることらしい.
だから,対話を通じてズレを表面化することは有意義な試みなのだという.
自分の認識を変える必要はないが,相手の認識を知ることでより良い関係を築くことができるし,すれ違いを許容できるようになる
まさに信頼とは対話の結果として手に入るものであり,それを繰り返すことで,信頼するセンスが磨かれる.
そうして生の情報や一次情報に触れることで,結果としてよい選択をすることができるようになる.
ようは,まずは自分から誰かを信頼して行動し,対話というツールを使って人間関係の問題を乗り越えていってほしい,ということだ.
それを実際の対話を通して学ぶというのが,今回の合宿の成果となった.
合宿を終えて
率直な感想としては,参加してよかったと思う.
文理関係なしに,様々なバックグラウンドを持った人と話すというのは,存外にもなかなかの刺激となった.
多くの人とは,おそらくは趣味で仲良くなることはないだろう.
それでも,僕たちは対話を通じて信頼関係を築くことができたと思う.
これの学びをこれからの人生でも活用することができれば,ここで就職を決められなくても,イベントに参加した意義が生まれるのではないかと思う.そう思いたい.
さて,連続で文章を書き連ねたのでそろそろ気力の限界が来た.
今日の記事はここあたりで切り上げようと思う.
明日の僕も,今日の僕のように,もしくはそれ以上に頑張ることを楽しく思ってくれることだろう.