全ての物事が自分を叱っているように見える
世界は僕のためにできていない
本を読んだり,作品に触れたり,言説を聞いたり,多くのことに学びはある.
それは誰かのために作れた物語で,僕のためだけのものではない.
内省が深まると,今度はあらゆる物事が僕を叱っているように感じてくる.
そんなことはないのだが,妙な自意識過剰が顔を出してくるのである.
活発であることと,自堕落であることに,良し悪しはない.
損得はあるけど,どちらが善でどちらが悪であるとか,そういう議論に意味はない.
さて,外に出ない日が続くと,気分がすぐに落ち込む.
そんなおセンチなメンタルだったのか,目につくニュースや記事やいろいろなものが,僕を罰しているように感じていたのである.
そんなことは,決してないのだが.
梅雨というものは,僕にとって毒である.
コロナ禍であるとか,外に出る予定がないとか,まぁいろいろな理由があるのだが,理由は作れば良い.
しかし雨がしこたま降ってきて,家の中のほうが安全で快適だと,外に出る理由を作るのが億劫になる.
つまるところ,ここ数日僕は引きこもりをしているのである.
今日は昼にありえないほどのゲリラ豪雨がやってきた.
家族の送迎をしているから,それで外に出たという満足感に浸ってしまっているのかもしれない.
これも役割であるし仕事なのだが,進歩していないように感じるのは,やはり僕がそこに劣等感であったりの比較をしてしまっているからなのだろう.
就活を通して学んだことであるが,比較というのはなかなかどうして自分の心身を食い尽くそうとする.
危険なツールであるので,無意識に濫用するのは控えるべきであると,そう思う.
選考中の企業からの連絡は,まだない.
明日で1週間になるので,その当たりで連絡がくるだろうか.
待つのは様々な感情が入り混じって疲れるが,くよくよもしてられない.
選考が進んだにせよ,落ちたにせよ,僕は成長をするべきだ.
選考中であろうとも,僕が何もしない理由は,どこにもない.
火ばさみを使いすぎて筋肉痛の右手が痛むが,これも致し方ないことである.
筋肉だって成長痛を感じているのだから,感情だって酷使すれば痛みもする.
上手いこと,付き合って生きたいと思う.