イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

恥ずかしいヤツだよ俺は

恥ずかしい

こんな書き出しをする自分が特に恥ずかしい.

だが推敲はしたくないので,もうこの書き出しで今日の記事を上げるしかないのだ.

 

ここ2ヶ月くらい,このブログのアクセス解析とかを覗くことはなかった.

見なかった理由は特にないが,逆に言うと見る理由もなかったので,見ていなかったのである.

 

今そんな話をしたということは,今しがたこのブログのアクセス解析を覗いたことを意味している.

そしてアクセス解析を覗く理由ができてしまったことを意味してもいる.

 

僕はインターネット人間なので,主にインターネットに生息している.

そしてゲーム星人でもあるので,そうしたコミュニティに属したりもしている.

そんな訳で,僕がTwitchというゲーム配信サイトに入り浸って荒らし行為に励んでいると暴露しても,なんら不思議なことではないと言えるだろう.

 

そう,僕のブログについてのフィードバックが,コメント欄でチョロっとされてしまったのである.

いやまぁTwitchの僕のチャンネルページにこのブログのリンクは貼ってるし,Twitterにも記事のリンクは毎回あげてるし,Twitterで配信者様等々をフォローしたりされたりもしているので,誰かが見る可能性は十分にあるのだが.

このブログを読まれたくないわけではないが,読んでもらいたくて書いているわけでもなく,公開しているのはなんというかこう「僕は元気に生きてます!」程度のニュアンスであって,うんぬんで,かんぬんで……

 

あじれったい.

ちょろっとだけでも絡みがあって,ゲームという娯楽を通じてコミュニケーションをしている相手に,このブログを読まれてフィードバックされたという事実が,なんというかこう,くすぐったい感触を与えてくるのだ.

それが恥ずかしいのだ,たまらなく.

 

それを今日の朝から感じ続けていて何をするにも落ち着かないので,こうして逃げるようにブログを書いているのだ.

ああ,恥ずかしい.

 

で,僕は一体何を恥ずかしがっているのだろうか.

うーん,わからない.

 

「Twitchのコメントでいつもギャグ言ってるくせにブログだと"僕はユーモアがある人間だ"的なこと書いてる記事で一回もギャグ言ってなくてワロタ」的なことを言われたのだが,いやまぁ本当にそのとおりでございます.

そう言われたのは恥ずかしいが,クラスのいじめとかでよくある「こいつ漫画なんか書いてやがるぜ!」みたいな感じじゃなくて,もっと別のところから来ているような気がするのだ.

 

僕にとってのオヤジギャグはライフワークのように行われるものである一方で,それはコミュニケーションの手段でもある.

つまりはこうして独り言を書き連ねている日記ないしこのブログでは,それ自体がコミュニケーションではないのだからオヤジギャグを言うこともないのだ.

 

ああそうか.

僕が隠匿したいと思っている内面を綴った内容がこの記事でありこのブログなのだから,それを見たと言われたことでコミュニティでの関係性が変化してしまうことをこそ,僕は恥ずかしいという感情でストレスに変換しているのか.

 

なんともはや,恥ずかしい思考をしているものだ.

それは恥というよりも,恐怖であったり畏れの感情であるようだ.

 

僕は人のゴシップネタとか,隠匿してるゲスい部分とか,そういうものにはあまり興味がない.

それは多くの者が当たり前のように持っているものであるし,僕自身も相当に汚い物を自己に内包して生きている.

だから暴かれたソレを目の前にしても,僕はとりわけ変な情動を抱かない.

 

問題は,暴かれてしまうことにこそあるのだろう.

曝されたと感じてしまうことこそが,恥という気持ちの芽生える過程なのだろう.

 

別に人の内側にある汚い部分など,多くの人は興味がないのだ.

僕がそうであるように,おもちゃとして遊べる部分が存在するだけで,多くの人にとってソレは無価値なのだ.

無価値だが,僕にとっては意味のあることで,ただそれだけのことなのだ.

 

だから恥と感じるその気持ちはもたらされたものではなく芽生えたものであって,誰かに観測されて初めて成立するようなものではないのだ.

恥ずかしがっていることを含めて,それは僕にとっての意味でしかないのだ.

 

のだのだ言っててハム太郎みたいな感じになってきたので気持ちを落ち着かせよう.

ハム太郎の思い出に耽るたびに,新居に穴を開けてカーテンをズタズタにした害獣であることもまた思い出す.

そんなことされても「今日もいい一日だったね」って言える精神力が,僕には必要だ.

 

何いってんだ俺.

Head Care, head care.

 

さて,僕がこんなに恥ずかしいと感じているのは「隠していた内面が他者に見られていることが発覚した」からなのだが,よくよく考えるとなぜ僕はそれを恥ずかしがってなどいるのだろうか.

ブログとしてインターネット上に公開しているのだから,見られて当たり前である.

友人からも「ブログ見た」と言われることがある程度には,誰かに見られているのである.

 

別に隠すつもりなどもはや微塵もないのに,知られることに対して恥ずかしいと感じるなど,ダブルスタンダードも良いところではないか.

知らずのうちに,このブログを誰かに向けて書いてしまっていたのかもしれない.

「こいつらしか見ないだろうから」みたいな思考で記事を書いてしまっていたのかもしれない.

 

見返してみると,投げやりな記事が多いよな~と感じることが増えた.

毎日更新していることに価値を見出しているなと,振り返ると思う.

他人にとっては無価値だが,僕にとっては意味のあることを書くのがこのブログの存在理由なのだから,それを果たせていないのは,僕の怠慢であろう.

 

僕が感じている恥ずかしさとは,そういった怠慢の形を見られたことに起因しているのだ.

うん,きっとそんな気がする.

 

だって今日書いたこの記事が見られていてそれを見たよってフィードバックされても,多分恥ずかしいとは感じないだろうから.

嘘偽りのないお気持ち表明のために独り言を綴ったのだから,それをどのように捉えどのように解釈されようが,僕は気にする必要もない.

僕が前に進むために残した言葉で,明日の僕に対してかけたエールで,それは僕が僕のために意味を見出すためのものなのだから,他人がどう思おうと知ったことではない.

 

外面だけ気にして「毎日更新しているよ~」「僕だって頑張ってるんだよ~」って言うためだけにうんこみてえな記事を垂れ流してるから,いざ誰かに見られたときに恥ずかしいだのなんだのとのたまうんだ,このクソニートは.

恥ずかしいヤツだ,こいつは.

 

でもまぁこうして今日の記事のネタになってくれたので,昨日までの僕も捨てたもんじゃないはずだ.

実際に昨日の僕なりに頑張ってくれていたから,こうして今日も頑張れているのだ.

うんうん.

 

よし.

脇腹をくすぐるような恥じらいの感情を拭い去ったので,ちゃんと就活の日記も書かなくては.

 

就活した

今日も今日とて就活していた.

一昨日や昨日に引き続き,今日もプログラミング課題をこなしていた.

 

コーディングについては全部終わった.

開発ツールの扱いについての課題も,終わった.

 

後は体裁を整えて文書にする作業を残すのみだ.

と,昨日も同じようなことを言っていた気がする.

 

今日は主にこの文書作成をしていた.

そして現在進行系でしている.

ちょっと文書を書くのに疲れたので,トイレ休憩のようにこうしてブログに載せる排泄記事を書いているのだ.

 

進捗としては,一番重たい部分である暗号解読について終わらせたので,後はほそぼそとしたタスクを終わらせるだけである.

つまりは数値計算だとかデータベースの扱いだとかのコーディングについて,どうやって作っただのどういうところを意識しただのを書くだけである.

 

いやまぁこれが僕にとっては難しいので,こうしてストレス発散をしているのだ.

というのも,僕はこのように物事を短くまとめるのが異常なまでに苦手なので,「短い文書にまとめることができてしまう」タイプのシンプルな課題もまた苦手なのだ.

 

面倒くさくて分量の大きい課題を先に済ませ,簡単で分量の小さい課題を後回しにする癖は,こういうところから来ている.

そして得てして,小さい課題の方に大きな時間とストレスを割くことになるのだ.

 

なのでこの記事を書いたら,さっさとその小さい課題に取り掛からなければならない.

かける労力は小さいのだから,後回しにしてクオリティを下げるほうが馬鹿なのだ.

つまるところ過去の僕は馬鹿だったし,今の僕も馬鹿だ.

こうしてブログとかいう就活で見たら無駄なことにばっかリソースを割いている.

 

だが,それが良い.

幻想には現実を改変するだけの力があると自分でそう豪語したし,ある種このブログもまた幻想の一部になっていくべきものだ.

だから,こうして無駄をしているのが僕のパフォーマンスを引き上げるのだ.

 

そして僕は昨日の僕よりかは愚かではないので,やると宣言したら逃げずにやるのだ.

小さい課題をダラダラ1時間かけてやらず,10分に集中してクオリティの高いものを生み出すのだ.

 

よし.

やる気を出すためになかなかの時間を割いたが,これも僕にとっては重要なことだ.

多くの人にとっては無駄だが,僕にとってはとても意味のあることだ.

 

振り返ると,結構汚い言葉を使った結構汚い記事になってしまった.

僕は,そういう下品なヤツなのだ.

 

最近Twitchでおっぱいばっか言ってるし,自明解だ.

下品で下世話な小学生の好む会話が,僕の好むコミュニケーションなのだ.

恥ずかしいヤツだが,それがいいのだ.

 

よし.

今日の残り時間で,しっかりと提出課題を仕上げよう.

そして明日の面接のために準備をして,しっかりと早めに寝よう.