前を向いて生きる覚悟
何があっても前に進む
正しい思想が常に正しい答えを導き出すとは限らない.
だから僕は正しい答えを求めて生きてきた.
だってそれは合理的で,思想の優劣に関係なく正しい答えはそこにあるのだから,回答者こそが絶対的なのである.
正しい答えを導き出せるのなら,思想が歪んでいようとも関係ない.
そこにはすべてを幸福にする絶対的な回答があるから,幸福を求めるのなら「Answerer」になってしまえば良い.
だから正しい答えを求めることは,自分にとって正しい答えなのだと.
今までの僕は,そう思って生きてきた.
だがどうやら僕は思想者だったらしい.
僕は「Answerer」ではなく「Thinker」だったのである.
僕は正しい答えを求めていたのではない.
僕が求める答えをこそ,求めていたのだ.
僕が幸せになれる答えは,正しい答えでないかもしれない.
それでも僕はそれを求めた.
ならば正しい思想は,僕にとって福音となる.
求める答えは,思想の中に存在する.
思想を突き詰めることで,僕はその答えに近づくことができる.
その過程には,きっと正しくない答えが多く介在することになるだろう.
痛みを伴う答えと向き合わなければならないことだってある.
だけども僕はそこに幸福を求めた.
思考するという「覚悟」を決めた.
救われなくても,何があったとしても,僕は幸せになるのだ.
僕には良いところがいっぱいある
僕には他人にない,良いところがいっぱいある.
以前の僕は語尾に「と思う」を付けていたが,これはもう辞める.
僕の中には,確かに良いモノがたくさん詰まっているのだ.
その良いモノを信じてみたいと,僕はそう決めた.
それでも多分,僕の持っている特性すべてを拭い去ることはできないだろう.
僕の成してきた物事の多くは,僕が「暗い」「弱い」と定義してきた特性から出力されたものにほかならない.
そしてそれは,そう定義してきたように,やはり「暗く」て「弱さ」を内包した特性である.
だから僕は一生,その特性を持って生きなければならない.
しかしそれは「良い」特性でもあるのだ.
幸福を手繰り寄せることだってできる,優れたものでもあるのだ.
使い方次第で
だからその認識を変える.
僕には良いモノがたくさんあって,それで誰かを,自分自身を,幸せにすることができるのだと,そう信じることにする.
実際にそう信じることは,とても難しい.
今日決心して,夜に寝て,明日の朝にそうなっていることはまずないだろう.
だけどもそう信じなければ,僕は一生涯「暗く」て「弱い」自分として,自分を認められない日々を送ることになるだろう.
それは嫌だ.
僕は幸せを生み出せる人間になりたい.
幸せであれる人間でありたい.
そしてその幸せのために,僕の特性を活かしたい.
だからそれを口にすることに決めた.
そう,僕には良いところがいっぱいあるのだ.
お前の良いところってどこだよ
さて,僕には良いところがいっぱいあると豪語した以上,それを語るべきでもあろう.
就活の過程で,僕は多くの人に肯定をしてもらってきた.
僕には客観視して誇るべき良いモノが確かにあるのだと,それを知っているのだ.
だからそれを述べることは,不可能ではないのである.
しかし困ったことに,僕の持つ「暗く」「弱い」特性のために,僕は自分の Pros を見つけるのがとても下手くそである.
それが下手くそだという Cons を早くもこうして見せることになる程度には,僕はそれが下手くそなのだ.
しかし僕は,多くの物事が二面性を持っているということを知っている.
それを学ぶことができたのは,就活というイベントのおかげに他ならない.
なので僕の特性のダークサイドを見つめ,そこからライトサイドに転じる部分を語るのが,僕なりの「良いところの見つけ方」になるのだろう.
「Pros → Cons」の順で語られることが多いが,僕の場合は「Cons → Pros」が認知の順序なのだ.
なのでこのブログでもそのように掘り下げいこう.
今この場でテンプレを作っておこう.
自分の良いところを大見出しで述べ,中見出しでConsとProsについて述べる.
そうすれば,僕の良いところがうまい具合に言語化されるはずだ.
人から言われた良いところもまた,記録していきたい.
箇条書きで良いので,僕の良いところを宝石のように並べてみたい.
今日言われた僕の良いところを,今日まとめるのだ.
あとは人から言われた直した方が良いところもまとめよう.
僕の個性に依存するのではなく,単純にスキルとして持ち合わせていないものや,ないがしろにしてきたものが,そこにあるからだ.
内省するだけで内省しても,反省しない人間になってしまっては,きっと僕が求める答えには行き着かないだろう.
そのようにして,僕は自分を愛せるようになるのだ.
ダークサイドを覗き込む力がある
このブログでも度々口にするように,僕には物事の暗い側面,ダークサイドから認知するという思考パターンが存在する.
これは,僕の良いところのひとつだ.
Cons
- ネガティブ思考
- 自爆体質
- 損をしがち
- 不安がち
とにかく僕は,ネガティブ思考が強い.
失敗した姿を考えることが得意だし,選ばなかった別の選択肢の結末が気になって気になって仕方がない.
負の側面を覗き見ることは,とにかくいろいろな弊害がある.
基本的に人が見たがらないものを観測するため,本能的に不快だと感じられるような精神状態になりやすい.
損をすることも多いし,それが原因で自爆することだってある.
過去に僕が定義したような「救われない生き方」の原因となっているのが,この特性によるものだ.
得てして危険な思考パターンであることは疑いようもない.
使いようを誤れば,すぐに自分に対して刃を向けることになりかねない点が,明確な欠点だ.
Pros
- 向上思考
- 発見力
- 改善力
- 探究心・好奇心
他人が無視したり,見逃したりする小さな歪みに対して,僕はセンシティブに反応することができる.
細かな改善点や長期的に見て問題となる事柄を,事前に把握して対処する能力に優れている.
今すぐには困らなくても,10年後に困る人を助けることができる.
当事者でない誰かを想って行動することが本能的にできるのは,ダークサイドを覗く力によるものだ.
誰かが求めているのに,誰もやらないことようなことを,僕は達成することができる.
こうした行動を反射的に行うことができるのは,ひとえにこの特性の賜であるといえるだろう.
今日気がついた僕の良いところ
- 感受性が豊か
- とても素直
- 内省力が高い
- いいヤツ
- 頑張れる人間
今日気がついた僕の直すべきところ
- 人の話を遮る
- 人にテンポを合わせられていない
- 周りが見えない (今さっきアゴを机の角にぶつけた)
- 暴走しがち
就活で泣いた
こんな話を記事にしたのは,今日も就活をしてきたからである.
このブログで度々口にする,面接が面白い企業である.
面談相手は,人事の方であった.
とは言っても,面談の形式はこれまでと変わらず,なにか決められたトピックを立てて話すといったことはしなかった.
自己紹介の後に聞きたいことを聞かれたので,「挫折とその乗り越え方」を聞いた.
他人の過去なのでブログには詳しく書かないが,僕が体験したことのない大きな障壁に直面し,その過去を受け入れてここまで生きてきたという話を聞くことができた.
その後は,僕の直面している壁について話した.
「大学院」と「研究室」で味わった失敗や挫折,今でも消化できていない引け目や後悔について,包み隠すことなく語った.
以前はそれを話すだけでつらい気持ちが湧き,涙が出ることが多かった.
しかし今になっては,ある程度落ち着いて話すことができるようになった.
その後は,当時の僕の目線に立ってその出来事を振り返った.
どう思っていたのか,何があったのか,そうしたことを言葉にした.
そしてそれを許す言葉を,リフレインしていった.
引け目や後悔を言葉にして許す作業をしていくと,勝手に涙が溢れてきやがった.
まだまだ僕が向き合いきれていない過去がたくさんあるのだと,そう思い知らされた.
面談相手の方は「本気じゃなかったことに対しては泣かない」と僕に言った.
僕は大学院生活の中で,研究活動という結果だけを見て中途半端に終ってしまったと,そう思っていた.
中途半端にやってきたことや,本気になって来なかったことに対して,人は泣けないのだと言われて,その時に初めて自分が本気だったことに気がついた.
僕は今日ここで初めて,その過去を許すきっかけを得た.
それでも受け止めきれていないことはたくさんある.
それを理解し,許し,自分への幸福へとつなげたいと,本心から思えた.
そんな人事面談となった.
果たしてこれで選考的にプラスな面を見せられたのかはわからないが,僕の成長という点では大きな面談になったことは間違いない.
また「幸せになる覚悟が必要」という言葉も頂いた.
それができていないと,ここで働くことは厳しいと.
3ヶ月前,僕は変化をするという覚悟を決めて就活を始めた.
僕は変化に対し,痛みを伴うものだという定義を,自分の中にしてきた.
だからつらく感じる今が,その変化の証明なのだと.
そう言って今を生き続けてきた.
僕はその覚悟を後悔しているのだろうか.
その覚悟を抱いたまま,ここまで就活を継続できているのだろうか.
僕なりに考えた覚悟の形は「直視してこなかった物事に焦点を当てること」だと,今はそう思っている.
そしてそれを生涯続けることなのだと.
これが正しいのか,間違っているのかは,僕にはわからない.
だが僕はそれを求めると決めたのだ.
正しい答えに結びつかずとも,これが僕にとって正しい思想なのだと,そう願ったのだ.
ならばきっと,僕は「幸せになる覚悟」をしているのだろう.
あとはそれを継続できるか,抱き続ける覚悟があるかが重要だ.
覚悟には,具体的な行動が伴わなければならない.
僕は幸せになりたいと願った.
ならば幸せになるという覚悟が必要だ.
そしてそのために,僕は行動を起こすべきだ.
僕はべき論でしか駆動できない.
そういうエンジンを持って生まれてしまった以上,僕はその駆動系を活かさなければ生命活動を送ることができない.
だから僕は「行動を起こすべき」と定義して,僕自身を駆り立てる.
やらなければ停滞し,やがて死ぬと,ムチを打ってでも走るのだ.
そんなことを思った面談だった.
課題図書?として「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」が提示された.
800字程度で感想を読ませてほしいと,そう言われた.
「嫌われる勇気」という本は認知していた.
だが「僕自身は嫌われる勇気を持ち合わせているよな」という自覚から,読む必要はないと嫌厭していた.
「直視してこなかった物事に焦点を当てること」が覚悟の形だと定義した以上,僕はその嫌厭していたモノに対しても向き合う必要があるだろう.
その上で,自分の体験としてそれを言葉にしよう.
「幸せになる勇気」も同様だ.
僕は幸せになりたいと願い,そうなると覚悟した以上,その覚悟を形として証明しなければならない.
その第一歩として,この本たちを利用させてもらおう.
本はもう注文した.
明日の昼までに届くので,早速読むことにしよう.
課題をこなすのは,得意だ.
伊達に生真面目をこじらせてここまで生きてきては居ないのだ.
そうやって自分の得意分野に落とし込んで物事を認識しつつも,新鮮さを感じて楽しく取り組もう.
それがきっと,良い明日を引き寄せてくれるはずである.
「と思う」を削減した結果,文章を書くのが相当に遅くなった.
だがまぁ,他人事のように言葉を発するのは僕の悪癖であり,それで失ってきたものも多いだろう.
言霊は,確かに存在する.
少なくとも僕の中には存在している.
だからこのブログに突き立てた一言一句はすべて,僕という人間の歴史として僕を形作る糧となる.
覚悟を決めたのなら,当事者としての言葉を綴るべきなのだ.
明日は特に予定がないが,本が届くので予定が発生する.
だからそれを読もう.
そして読書にもパフォーマンスを発揮するために,しっかりと睡眠を取り,明日に備えるのだ.
よし.
今日はこのあたりで締めようと思う.
久々の思うでとても有り難みを感じる.
「と思う」はやはり便利な言葉だなと思う
うん.
今日もよく頑張ったぞ俺!!明日もまた頑張れる範囲で全力を尽くしてみような!!いいぞいいぞ!!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお