イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

人に資することは難しい

誰かを愛して生きる

僕は人を愛したことがあまりない.

恋愛というものも知らないし,情愛と呼べるものを持ち合わせたことは,これまでに数えるほどしかないだろう.

ことさら異性に対する愛は,世界で見ても有数に低い部類の人間である.

 

ヒト・モノ・コトのうち,僕はモノ・コトを優先して生きていた.

高専なんて酔狂な教育機関を選んだのもそうした基準であったし,情報系に進んだのもこの行動パターンによるものだった.

論理命題に対してはそこそこ強いし,合理性に従って行動できる側の人間である.

だから,僕はモノやコトから幸せを得て生きることのできる人間だと,そう思っていた.

 

しかし最近になってわかってきたのは,僕はヒトから幸福を得ているということだ.

僕はヒトから幸福を得るために,モノ・コトを利用するという,そういう人間なのである.

 

さてこんな話をしたのは,やはり今日の就活が原因である.

今日はこのブログでたびたび言及する企業と面談してきた.

 

面談相手は,相当に明るい30代の男性であった.

ポジティブ思考が強く,相当に明るい性格の持ち主であった.

僕が極端にダークサイドに偏っているとすれば,真逆のライトサイドに寄っている人間こそが,今日の面談相手なのである.

 

話のメインストリームは,僕の大学院時代の失敗であった.

研究室でいろいろ追い込まれて絶望した経緯について,色々と話した.

 

ヒトが求めるモノ・コトに対して相当にセンシティブであったから,研究室運営にはこれでもかという程に参画していた.

必要なこと,改善すべきことを見つけてはそれに取り組んでいる内に,やるべきことが増えていった.

そしてそのタスクに押しつぶされ,僕は破滅を迎えることになった.

 

当時,僕はモノ・コトに関わっていて幸せなのだと,そう思っていた.

僕のできることは,僕の幸せに繋がっているのだと.

しかし実際にはそうではなかった.

 

僕の高すぎた理想は,相手の合格基準を無視してその先の幸福を求めようとした.

相手が求めていたこと以上のことをしなければ,相手も幸福にならないのだと,そう盲信して自分を貶めた.

結果として,僕は幸福になることができなかった.

 

僕はヒトに対して幸福を求めながらもそこに向き合わず,モノ・コトについて幸せがあると表面的に理解して行動していた.

そのすれ違いが,大きな痛みとなって僕に返ってきたのである.

 

僕のこうした思考パターンは,やはり環境的遺伝で発現したのだろう.

父も母もピエロになるのが得意で,人を見る目があるが故に人に嫌われることを選択肢として持ち合わせることができる.

誰かが無視して生きていることに対して向き合うことのできる両親を,僕は心の底から尊敬している.

 

2人の兄に関しても,そうした側面がある.

彼らもまた,常人ではない.

僕は家族の影響の受けに受けて,今の思考パターンを形成していった.

 

だから僕はこの思考パターンを誇りに思っている.

両親や兄に感謝をすべき,大事な贈り物だからだ.

 

しかし,その思考は僕を幸せにはしてくれていない.

まだ幸福につなげる術を,僕が知らないだけなのかもしれないが.

 

面談相手の方は,自分自身を許すことが必要だと言っていた.

過去の失敗を笑い話にできるように,宝物にできるように,受け止めていく必要があるのだと.

そういう成長もあるのだと.

 

僕は両親にはなれない.

兄にもなることはできない.

僕は僕のまま,生涯をかけて僕として生きていかなければならない.

 

このブログでも度々言及しているように,僕はほかの何者にもなることができない.

僕は,僕にしかなれない.

その事実は,僕が僕である以上,揺らぐことはない.

 

さて,それを知った上でどうするかが,僕にとっては重要な命題であろう.

僕はどのようにして僕になっていくのか,それを実践しなければならない.

 

僕はヒトに向き合うことを,あまりしてこなかった.

僕は孤独に耐えられる孤高な人間だと,そう思っていた.

だけど実際はそうではなかった.

人一倍にさみしがり屋で,孤独を強く感じながら生きる人間であった.

 

ならばまずは,ヒトに対して向き合ってみることが処方箋なのだろう.

僕はコミュ障と言われる側の人間で,真実としてそうである.

そうした性質もまた,僕の特性として発現しているものでもある.

だけれども,それがヒトから逃げる理由にはならないだろう.

 

絆の世界に在りながら,遊びを忘れてしまったヒトが大勢いる.

僕は遊びの世界に在りながら,絆を忘れて生きてきた.

どちらも欠けていて,どこかで互いを求め合っているのである.

陰陽とは,きっとこういうことなのだろう.

 

そんなことを思った一日だった.

 

なにかして生きる

さて,今日は面談以外には,特にやることもなかった.

なので朝からTwitchの配信を眺めていた.

 

推しの配信者が絵を描いていた.

とても上手で,尊敬に値する個性だと思う.

 

そんな推しに影響されて,僕も絵描きを始めた.

まずはファンアートから描いてみようと思い,それを始めた.

なかなかに難しいものではあるが,まぁ最初は何事も慣れだ.

無軌道無計画に,まずはやってみよう.

そしてその過程を楽しんでみようと思う.

 

今日はそんな一日だった.

明日は特になにもないので,絵を描いて過ごそうと思う.

 

とりあえず,なにかして生きる.

その先にあるヒトの幸福を想いながら,懸命に明日も生きるのである.

 

今日はなかなかにポエミーな記事になった.

我ながら恥ずかしい文章を書くものである.

 

まぁ恥じらいなど,ニート生活ですべて捨ててきたのだ.

せいぜい恥ずかしい生き様を晒すことにしよう.

 

よし.

今日もよく頑張ったぞ俺!!明日もちょろっとでいいから頑張ってみような!!いけるぞいけるぞ!!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお