飢えているのは昨日の僕か
飢えているのは誰なのか
過去は変えることができない.
変えられるのは今とそこから伸びる未来だけで,過去は僕らの手から逃れた場所にある.
かつての後悔を供養するためには,今を良く生きることでしかできない.
当たり前だが,残酷な現実である.
良き未来に向かうためにはどうすれば良いのだろう.
それがわからないから苦労しているわけだが,まぁそれくらいには未来を手の内に収める方法というものは存在していない.
僕は常に,過去の自分の飢えを満たすために生きてきた.
少なくとも,対外にはそういう自分を示してきたように思う.
「いつか,誰か,これを求める者のために」
僕が心の内に秘めた,青い願い.
これを口にするのは,恥ずかしいことと思っていた.
多くにとって無価値であっても,誰かにとって意味のある何かを成したい.
100人が指をさしても,1人が愛してくれればそれでいい.
僕は過去に執着していると,そう自分を定義してきた.
でももしかしたら,僕も未来を求めて生きることができるのかもしれない.
涙の力を借りなければ言葉を生み出せない自分を,悔やむことがある.
でもこの涙が,僕の成長痛なのだろう.
涙を受け止めてくれた人の分だけ,誰かの涙を受け入れられる自分になりたい.
弱さを受け入れて,それを愛せる人間になりたい.
人の営みが受け継いできた優しさを,僕もまた継承して生きたい.
最初にそれを初めた者は,偉大な人物だったのだろう.
僕はその者ほど偉大ではないが,そこから生まれた愛情は,後の世代に伝えて生きたい.
そのようにして,大人になりたいのだ.
就活してきた
今日も就活した.
このブログでたびたび口にしている,面談が面白い企業である.
その面談に影響されて,ポエムを書いた.
思うところは企業への感想に書いたので,今日の記事はまぁなんというか冷めぬ熱で恥ずかしいことを書こうというものである.
過去と向き合うたび,僕は涙が出てくる.
ここ数年で,本当に涙もろくなってしまった.
感受性というものは鍛えられるものなのだろうか.
それとも抑圧しているだけで,誰もがそれを兼ね備えているのだろうか.
僕は人の心がわからない.
そうして生きてきたのだから,本当に人の心が理解できない.
その癖して,感受性は人一倍高いようでもある.
多くの言葉を物語に変換し,自己体験化できてしまう.
僕の過去は,もう僕の手を離れたのだ.
その物語に感受性を働かせ,僕は泣いているのだろうか.
どうなのだろう.
そんな気もするし,違う気もする.
きっと自分の過去というものは,そういうものなのだろう.
僕の視点が築き上げた物語なのだから,特別で,そしてありきたりの普通の内容なのだ.
そんなことを思った一日だった.
明日はかなり早起きする必要があるので,今日はかなり早く寝なければならない.
なのでこの記事を出したら,もう寝る.
寝苦しい夜が続くが,今日も頑張ることができた.
明日もまた,頑張ろう.