同期の友人におごられるなどしたという話
飯を奢られた
今日は同期の友人と会ってきた.
先日手に入れたPOCO F3を自慢しにいくためである.
彼と会うのは,最後に会ってからおよそ二年ぶりだろうか.
確かその時はPOCO F1を見せ合いっこしてた……ような気がする.
記憶とはなかなかどうして薄れるものである.
さて,今日も似たような理由で会うことになったわけである.
駅まで車で迎えに行き,合流.
人の多い駅から若干離れ,しずかで小洒落たカフェに落ち着く.
モーニングセットが豪華な割にコスパが最強そうだったので,それを注文.
注文を待ってる間に,POCO F3談義が始まる.
せっかくなので,彼自慢のバズーカカメラで,POCO F3の勇姿を撮ってもらった.
改めて見ると埃の量がすごいな……
良いカメラで撮影されると,僕のガジェットの扱いの荒さが露呈されてしまう.
キムワイプとか送風ポンプとか,そういうのを常備しようと思った.
せっかくの70搭載機の実機レビューなのに,3Dゲームとかを用意してなかったせいで少々退屈させてしまったかもしれない.
僕のスマホゲームの趣向は2Dゲームばかりなので,仕方がない面もあるが……POCO F3のオーナーとしては反省点である.
彼はmac book使いなのか,クリック感のある触覚フィードバックがたまらないと変態性をあらわにしていた.
確かに気持ちいいよね,あのクリック感.
つまらんアプリしか入れてなかったが,設定とプリインストールアプリだけでも十分楽しんで貰えたようである.
もうポチったようなので,彼がPOCO F3オーナーになるのも時間の問題だ.
プリセールス相当の価格で買ったそうなので,相当に買い物上手である.
そんな話をしているうちに,モーニングセットが届く.
パンとか卵とかサラダとか,彩り豊かなプレートに,お好みのドリンクがつく.
僕はアッサムにした.カップ3杯ほどの大容量である.
パンも芳ばしく,適度な歯ごたえと小麦の風味がたまらない.
肉がなくとも,大満足のボリュームとクオリティであった.
これで¥700 以下なので,なかなかにオトクだ.
なかなかに良いカフェだ.
先週に会った友人にも,この場所を紹介しようと思った.
草食趣向の彼なら,この浮気現場を気に入ってくれることだろう.
そんなこんなでPOCO談義をしつつ,モーニングを楽しんだ.
ケーキセットも頼もうと思ったが,時計は昼を迎えようとしていたので店を出る.
僕がトイレに行ってる最中に会計を済まされてしまい,奢られが発生した.
そのイケメン的行動に,社会人の懐の深さを思い知らされた.
第二ラウンドもした
お互いにコロナで引きこもりがちだった影響か,不思議と会話が弾む.
僕の就活についての話が始まると,キャリア談義の様相を帯び始めた.
立ち話も何なので,腹ごなしにドライブに出る.
昼食の会場は,コメダ珈琲になった.
とんでもないボリューム感である.
からしの効いたチキンのホットサンドは,とても美味であった.
美味であったが,あまりにも量が多かった.
就活で縮んだ僕の胃袋だが,なんとか食べきることができたので良かったと思う.
お残しは良くないからね.
友人は,WEB系の人間である.
ソフトウェア作れるインフラの人間で,つよつよエンジニアだ.
ガジェオタとしても相当に変態であり,エンジニアとしては正真正銘に僕の完全上位互換といった存在である.
まぁニート風情が社会人と比較してそれを妬んだり羨んだりしても,何かが改善するわけではない.
むしろ純粋に背中を追える今の関係は,後ろを走る自分としては心地の良いものだ.
同期の友人たちを,偉大なる先人として称えることができるのだから,僕は相当に恵まれているのだと思い知らされる.
そんな彼でも,進退についてや貯蓄について色々と考えているようだった.
キャリア感とか技術感とかそういう生々しい話は,就活中の僕の心に鋭いトゲを残す.
彼ほどの強い人間でも苦悩したり葛藤したりして,エンジニアとして戦っているのだ.
いや苦悩と葛藤を経て,それを乗り越えたから,今の彼があるのだろう.
それは生存性バイアスが多分に含まれることであるらしいが,そのしたたかな生き方は尊敬に値する.
彼は冷酷なまでに,現実主義者なのだ.
本来はキャリア講演で聞くべきような内容だが,友達価格でファッキン無料だというのだから,感謝してもしきれない.
それどころか,コメダ珈琲でも奢られが発生してしまった.
カウンセリングを受けてる身なのに,社会人の懐の深さには驚くばかりである.
曰く,出世払いらしい.
一年後は,僕がホストになって彼をもてなさなければならない.
その時はとびきりウマい飯屋を紹介してやろうと思う.
ジョーク交じりの口約束だが,それでも約束は約束だ.
それは呪いとして,僕の未来を縛るものだ.
僕はITエンジニアとして生きると,過去にこのブログで宣言した.
ならばその戒めは,祝福なのだ.
何も持っていない僕でも,それでも応援してくれる人間がいるのだ.
偉大なる先人たちが,僕のことを見ているのだ.
僕は多くの人に支えられて,多くの人に勇気をもらって,ここに生きている.
ニート生活を経てプライドは全部消え去ってしまったが,貰った勇気の分くらいは,もう少し頑張ってみたい.
いや,もう少しだけ頑張ってみせる.
僕は彼らと同じ生き方をすることはできない.
僕は彼らと,同じ人間になることはできないのだ.
だからせめての悪あがきとして,彼らから学ばせてもらおうと思う.
偉大なる先人たちの歩みを,希望として生きようと思う.
それは彼らのためでなく,何よりも僕のために.
そしていつか,だれか,僕と同じ道を辿る者のために.
そのために,もう少し頑張ってみせる.
逃げるのは止めると決めた
今日出会った友人とは,実はそこまで仲の良い関係ではなかった.
学生時代はあまり会話をしなかったし,趣味もスキルも別のベクトルを向いていた.
所属するコミュニティとしても,同じ学級であったという以外には,共通点はあまりなかったように思う.
彼と僕との関係を繋ぎ止めていたのは,POCO F1オーナーであるというアイデンティティだけと言っても過言ではない.
僕のガジェオタ精神は,彼と,もう一人居るガジェオタ友達の後追いによるものだ.
その2人から刺激を受けたから,僕はPOCOに魅了されたのだ.
そしてその埃まみれの絆が,今日という日を作るきっかけとなった.
どう生きてもテクノロジーへの執着は捨てきることができないし,オタクであるという事実から逃げることもできない.
結局のところ,僕たちはどうしようもないオタクであるのだ.
POCO F1のケースとフィルムは2年と数ヶ月の歳月で,随分と汚れ,そして傷ついていた.
この伝説的な名機を所有して生きることができたことは,僕の誇りのひとつだ.
こんなニートの僕でも,彼にとっては会話相手として不足なかったようだ.
僕と彼とはある意味で同質だが,ある意味では同質でない.
僕になく彼にあるものを僕が欲しがるように,彼になく僕にあるものも,確かにそこにある.
ドロップアウトを歴て僕が僕なりの孤独を感じているように,彼もまた彼だけの孤独を感じて生きている.
僕という人間の有り様が彼の人生に刺激を与えることができたのなら,僕もまだ捨てたものじゃないなと,そう思わせてくれる.
ニートの経験談が誰かの刺激や娯楽になるのなら,きっと僕が過ごしてきた時間も無駄ではなかったのだろう.
自分のコミュ力は相当に劣悪なものだと思いこんでいたのだが,どうやらそうでもないらしい.
テクノロジーを知ってる営業とか,エバンジェリストとか,僕の到達し得る未来はいくつも残されている.
仮に僕が業界人になった後にエンジニアリングから打ちのめされたとしても,僕という人間が死ぬわけではない.
現実として得するルートと損するルートがあるだけなのだ.
社会人になることの魅力を語る彼は,なるほど,まさに社会人だ.
そのように生きることは,僕の目にはとても魅力的に写る.
彼は,彼の歩いた道に,その身を以て希望を示したのだ.
なら僕も,僕の足跡を残して歩くことができるはずだ.
歩いた道筋を以て,誰かの希望となることが,きっとできるはずだ.
そういえば昨日,就活アウトローで「コミュ力とかいう意味不明の用語」について,いろいろと聞く機会があった.
論理力,共感力,表現力.
コミュニケーション能力という言葉は,結構多彩なベクトルに因数分解できる.
そしてそれらすべてが完璧な人間は相当にレアで,割とトレードオフの関係にあるとかなんとか,そんなことを言っていた.
これに当てはめるなら,僕は論理力と共感力にはそこそこに長けている人間なのかもしれない.
表現力は……まぁこんなブログを運営して,こんな記事を書いてしまう程度には残念なのだが.
無価値と切って捨てようとした僕の過去にも,僕という人間を構成する何かがあるのかもしれない.
いや,あるのだ.
それがあるから,彼らは僕という人間を刺激や娯楽にすることができるのだ.
ならば僕は,それを知らなければならないだろう.
僕の自我の奥底にあるなんらかを.
ブログのタイトルを借りるなら,イドのなんらかを.
(まぁそんな大層な理由でこのタイトルをつけたわけではないのだが)
誰かと出会い,対話を歴るほどに,僕は僕の真実に近づいている予感がする.
他人の目は,残酷なほどに僕という人間を映し出す鏡となる.
誰かの目から逃げるのは,そして自分という人間の本性から逃げるのは,もう止める.
そもそも,逃げられるようなものではなかったのだ.
心理を口にするということ
恥ずかしい話をすると,彼と会うのは,僕にとって相当に勇気の要る行為だった.
彼とは対面であまり話さなかったし,プロコンとかいろいろやってた彼は,僕の目にはひどく「真面目」な学生に見えた.
僕は就活アウトローを頼る程度には「アウトロー」で,彼とは別のベクトルを歩いている人間なのだと,そう思っていた.
彼とマンツーマンで話すのは,実は今日が初めてだった.
ガジェオタとして集まることはあっても, それは他の誰かと一緒に,グループとして絡む程度の関係だった.
互いに踏み込まないし,踏み込もうとしない,そういう遠い関係だった.
正直に言うと,僕は,彼が怖かったのだ.
彼はガジェオタで,インフラオタで,ソフトウェア屋で,僕という人間には微塵も興味のない,POCO F3を触りたいから絡んでるだけの存在なのだと.
僕はそういうレッテルを貼って,認識の外に彼を追いやろうとしていた.
そうすれば,僕は安心感を以てして彼を観測することができる.
彼の人格を気にすることなく,彼という人間を定量化できる.
そんな失礼極まりのないことを恥ずかしげもなく実行するほどに,僕という人間は低俗な存在だった.
だから今日,僕は初めて彼という人間を知ることができた.
彼のすべてを知るにはあまりにも短い対話であったが,僕は初めて,彼という人間と向き合うことができたのだ.
蓋を開けてみれば,彼は僕が恐れるような存在ではなかったし,僕が思うほど遠い存在でもなかった.
もっと早く知ることができていれば良かったと,今ではそう思う.
それでもこうして今日この日に,僕は彼を知った.
それは紛れもない事実で,覆しようのない現実なのだ.
だから僕は,こうして出来た関係を大事にしたいと思う.
月並みな言葉だが,大事にしたいのだ.
向き合う
きっと僕はこれから,僕が人外だと断じてきた,実在性を伴う多くの人間と出会うだろう.
目の前に在る人間は,僕と同じように息をして,僕と同じように苦悩して,僕と同じように葛藤して,そして実在性を伴って生きている人間なのだと,僕は思い知らされなければならない.
そしてそのたびに僕は,自分がしてきた過去の認識を恥じて悔いるのだ.
今日は,彼から会おうと言われて会いに行った.
僕が彼を知ろうとしたのではなく,彼が彼をあらわにしたから,僕は彼を知ることができた.
多くの意味で,彼に救われた一日だった.
今度は僕から,人外だと断じてきた相手に会いに行こうと思う.
彼らを遠ざけるために貼ったレッテルは,僕の手で剥がされなければならない.
またまた月並みな言葉ではあるが,そうして真に友人となることができたらと思う.