人生のコンセプト
停滞するために走り続ける
就職をするにあたっては,赤の女王仮設という,とてもとても悲しい現実を直視せねばならない.
とりわけ僕のように恵まれた家庭環境にあった子供は,その現実とのギャップを埋め合わせるために,多大な試行錯誤を経ねばならない.
与えられた生活の質を,独り立ちした後にも維持することは,非常に難しい問題である.
なにせ,家族からの経済的な自立を果たすということは,家族からの経済的な支援を断つことを意味してもいるからである.
中学生くらいになると,人は自分でものを見聞きし判断する.
大体それくらいの年頃から与えられていた環境というものが価値基準における「普通」となる.
大学を卒業するまでのおよそ10年間をかけて,その普通を身体になじませていく.
実家,特に一戸建ての住まいというものは,贅沢なものである.
僕は3人兄弟の5人家族だったけど,実家の広さから6畳間の子供部屋を与えられていた.
間取りにすると6SLDKとでも言えばいいのだろうか.
バスルームも広かったし,洗面所も広かったし,リビングもダイニングも,あらゆる共用スペースに恵まれていた.
カウンターキッチンに関しては,文句を垂れたら国外追放されるんじゃないかってくらいのサイズだ.
そんな訳で,僕にとってはそんな実家が住まいにおける「普通」の基準であった.
ものを考える年になってから10年以上をかけて,その普通を身体になじませていった.
経済的に独立をした後もその生活を維持することの困難さを考えるようになったのは,なにもつい最近のことではない.
大学生活中も,研究室に入ってからも,休学してニートになってからも,ずっとそのこといついて考えていた.
結論としては,一人ぐらしの中でこれまでの生活水準を維持することは,新卒時点ではほとんど不可能だということがわかってもいた.
実家と同程度の生活水準を一人暮らしでも維持するためには,最低でも1DK,可能なら2DK程度の住まいが必要である.
料理のできるキッチンがあり,寝床とスタジオが別れていなければ,実家を模倣した生活はできない.
ワンルームや1Kではキッチン幅の問題などからそのような生活はできないのだから,都内近郊に住むとなると月に10万は家賃に捧げなければならない.
大卒初任給が月20万平均と仮定すると,保険等でもろもろ差っ引かれることを考慮しても,月10万の物件に住むことは現実的でない.
手取り収入が30万程度なければ,そのような物件に住むことはできないのだ.
さて,手取り30万ということは,額面月収が38万程度必要になる.
年収換算では450万程度.
年齢別の年収中央値で言うところの40代相当なのだから,これを新卒で達成することの困難さがわかる.
そんな訳で僕が身体になじませた「普通」を達成するには,僕の稼ぎでは足りないことが簡単に試算できるというわけである.
僕の「普通」とは,両親が不断の努力の末にもたらしたものであるのだ.
振り返るに,僕の普通とは,そういった多くの大人たちによって支えられてきた.
そしてその状態を維持するために,これからは僕そのような努力をする側にならなければならない.
そんな訳で,赤の女王仮説などという物々しい概念を持ち出してまでも,人生のコンセプトについて考えてみたいなと思うようになったのである.
僕は生きるために働く.
生きるための糧を得るために,労働という手段を用いる.
なぜ働くか,と聞かれたら,僕は迷いもなくそのように答える.
労働という言葉には,それ以上の意味はなくて良い.
なぜ生きるのかという質問については,実のところ答えを得てはいない.
それを知るためにも,生存するという事実が必要なので,それ維持するために生きている,というのが今の答えである.
多分それを知る時は,僕が死ぬ時でもあろう.
つまりは生きるという事そのものが手段でもあり,目的でもある.
僕の人生における最大目標とは,生き抜くことにこそ存在する.
生物が生存するには,絶えず自己進化を続けなければならない.
ある種が生存競争に直面した時,絶滅を避けるには赤の女王仮説に基づき進化を続けなければならない.
しかし進化をしても,同じ位置を保つことができるだけであることにも,代わりはない.
これは僕のことを良く表現しているように感じた.
僕は生存するために労働をし,対価を得る.
しかし経済や社会は働いた分だけ,より大きな次を求めてもくる.
前年収入に依存した住民税のシステムなどは,わかりやすい例だ.
今を維持するためには,絶えず進化を続けなければならない.
新たな地平を目にするためにではなく,ただただその場に留まり続けるためだけに,疾走しなければならない.
僕の日常とは,そういう大人たちの不断の努力によりもたらされたものであった.
大人たちの試行錯誤の末に,今があった.
大人という理不尽は,子供にとって非常に大きな壁としてのしかかってくる.
結局の所,僕は大人になる準備などできてはいない.
それでもいつか,そうなる.
そういう生き方をするのだと,そう宣言したのだ.
まずは誰かを信頼することから,始めてみたい.
結局の所,僕は「まず疑う」ことしか実践できていない.
しかしその視点は,僕にこそ向けられるべきものだ.
自分がなんともなしに選択してきた価値基準にこそ,疑いの目を持つべきだ.
そして優れた者,優れた人については,その視点を持たないでもいた.
「なぜ優れているのか」「どのようにしてそうなったか」
その背景にある生きた人生観,理由についてを,僕は深く詮索してこなかった.
自立をするということは,一人で生きることを意味するものではない.
家族という心地の良い,狭い共同体を離れ,より大きな共同体に属して生きることを意味する.
敗北のプロセスについては,これまでにたくさん学んできた.
人はどのようにして弱くなるのか,どのようにして這い上がるのか.
そんなことを考えるうちに,みんなさして強く生きているわけでもなく,這いずりまわって生きているのだということを知った.
敗北とは,心がそう在りたいと願ったときに生まれる思考であると,そう知った.
勝利のプロセスというものは,実のところないのだと思う.
ただ,試行錯誤を繰り返す者には敗北というものがないだけであるようなのだ.
試行すること,再起すること,思考すること,取り入れること.
それの繰り返しを経て,前に進むこと.
その結果として得られた地位や栄光を「勝利」という言葉を使って周りのものが褒め称えるのだ.
僕はそうなりたいと思ったことはない.
しかし,そう在りたい思ったことはある.
僕が学ぶべき勝利のプロセスとは,そういうものだ.
そのために,今を認識すること.
自分をごまかさず,正しく認知しようとすること.
僕はあんなに頑張ってきたのにこんな状態にいるのだと,そう思っていた.
高専も大学も研究室も,あんなに頑張っていたのに,報われずにニートになったのだと,そう思っていたのだ.
しかし違ったのである.
あれだけ頑張っていたから,今があるのである.
あれだけ頑張っていたから,僕はニートになったのである.
そこを履き違えてしまったら,僕はこれから何ができるのだろうか.
巡り合わせという運は,どこまでもついて回る.
僕はそれを忌避したから,社会不信という傲慢を生み出すことにもなったし,それを引き金に現実逃避もした.
評価されないことと,評価しないことは,全く別の問題だ.
自分に価値があるのだと自らが認められなければ,どうして人からの礼賛を受け入れることができようか.
僕には,価値がある.
他の誰が認めなくても,僕が僕のことを認めなければ,誰かがくれた評価を受け入れることなど,できないのだ.
比較は,その先にこそ行われるべきものだ.
僕には価値があり,その上でもっと優秀でもっともっとすごいやつがいて,そういうやつらが僕の友人たちなんだ.
生きるためには,進化を続けなければならない.
そのために学ぶべき物事は,多くある.
エンジニアとしても,一人の人としても.
そのようにして生き続けた先に何があるのかはわからないが,それが今の僕の望みだ.
家探ししていた
こんなポエムを書くことになったのは,家探しをする中で改めていろいろと思うことがあったからだ.
内定が決まってからというもの,僕は急速に社会人になっていく自分を感じる.
動き出せば,後は走り出すしかない.
周囲との手続き,自分の気持ちの整理,身体の疲労,多くのギャップが,この1周間の間で生まれた.
それでも走り出してしまったこの現実は,もう止めることなどできない.
不足した想像力のツケは現実によって埋め合わせられるのだから,こうして想像をするのが僕にできるせめてもの抵抗である.
これは,そういうブログである.
家探しは,結構なハイペースで進んでいる.
二人暮らしをすることはほぼ確定していて,物件も決まった.
保証会社の審査とオーナーの許可が降りれば,あとは契約を結んで入居するだけだ.
本当は今週中に下見や内見を済ませて契約するのかなーって思っていた.
だが蓋を開けてみると,下見や内見はもうすでに済ませてしまったし,逆に契約は今住んでる人が退居されるまではできないと来たものだ.
そんなんだから,僕の見積もりなどは当てにならないもんだなと,そう思わずにはいられないのである.
正式に物件の視察をし,契約書を作って契約するのは,来週になってからとなる.
その日に向けての審査自体は現在おこわなれていて,今は審査の結果を待っている状態だ.
審査に落ちたら,別の物件を検討しなければならない.
オーナーが悪い人だったらどうしようとか,隣人にヤバいやつがいないかとか,そういう不安が早くも押し寄せてくる.
だが自分から信頼しようと決めたのだから,まずはそうしよう.
オーナーはいい人だから,僕の条件さえ合えば,きっと認可を出してくれる.
認可が降りなくても,きっとオーナーはいい人なので,様々なことを検討した上でそういう結果を出したのである.
まずは性善説を信じよう.
マンツーマンの人付き合いにおいて,それは無条件になされるべきだ.
特に自分からのコミュニケーションは,そのような信頼を寄せなければ,どうして自分が信頼されるものか.
僕が進化を続けるために必要なことは,信頼だ.
それも誰かからの信頼ではなく,僕からの信頼だ.
まずはそうしよう.
久しぶりにポエムを書いたが,心が軽くなった.
いい事である.
この気持ちを仕事にも持っていけるように,心の気高さを,魂のノーブルを,忘れないようにしたい.
そんなことを思った朝であった.
今日はバイトで,今しがた上司に退職願を出したところである.
この記事のように,こうして内職ができてしまう職場であるが,それもコロナウイルスで客が来ないのだからそうなっているという側面もある.
コロナウイルス騒ぎで僕の就活は遅れたが,まぁそれも責任転嫁だ.
結局のところ,そういう言い訳が見つかったからそれに飛びついたわけだし,そのようにして僕は他責を突き詰めるという傲慢を身に着けもした.
それは弱さだが,恥ずべきことではない.
そのように生きて,失意の中に死んでいくことこそが,悲しいだけなのだ.
決して正すべき弱さでもなければ,廃するべき悪でもないのだ.
律することは,誇りをもって生きることでもある.
僕はそれに惹かれたから,こうして再起することができた.
それは,決して一人でなし得たことではなかった.
そしてこれからも,そのようにして生きるのだ.
僕自身,自殺を考えたことも少しはあった.
自傷のために物を殴ろうともしたが,拳が傷むのが怖くてできなかった.
だから代わりにマットレスを殴って,しょーもない自分に気がついた.
ウェルテル効果だとか,パパゲーノ効果だとか,統計的に立証されているらしい自殺とその予防のメカニズムがあるらしい.
消滅したい,生きている自分を消し去りたい.
そういう気持ちは伝播するし,手法を与えれば実践もする.
人は一人では生きれない生き物であるが,一人で死ぬこともまたできない生物であるらしい.
弱き者,同族が自殺という手段を行使したことは,同士にとって勇気づけられるものとなる.
誰かが歩んだ道を歩くことは,とても易しい選択肢だからだ.
真面目なやつから,いいヤツから先に死んでいく.
いいヤツから順に絶望していく.
かつて僕は,顔を見たこともない別の学級の同期が死んだという構内放送があったとき,平静な顔つきで折り紙を折っていたという,そういう記憶がある.
そいつのことは顔も名前も知らなかったから,僕は何かの感情を抱く余地もなかった.
僕は善良であったし,高潔でもあった.
ただただ致命的なまでに,想像力が足りていなかった.
それだけの話である.
ここ最近のことであるが,母校の後輩が自殺をしたという記事を見た時,僕の心は大きく揺さぶられた.
同期の死について何も思わなかった僕が,後輩の死については大きな関心を寄せた.
その後輩に対してもまた,僕は顔も名前も知らない.
自殺というエピソードがそういう思いを想起させたのかもしれない.
僕の想像力というものが,悲しさを理解するようになっただけなのかもしれない.
彼は,教員からのいじめに遭って,それが自殺につながってしまったらしい.
過去の不正を正し,周囲の無理解と戦い,未来を良くしようとして,それが教員の癪に障ったのである.
その末に自殺という結果が残ったのならば,それは誰の責任だと言えるのだろうか.
きっと,彼を殺したのは僕でもある.
学生集会の最中に,学生会長を見ず,手元のスマホをいじっていたのは,僕だ.
文化祭というものに興味を示さず,開催に対して努力してる奴らを冷めた目線で見てたのは,僕だ.
彼は,そうした無理解を示す者たちを含め,すべての学生のために戦った.
そして彼はその末に,自殺という選択肢を掴んだ.
きっと,無理解を示している学生の中には,かつての僕のような者も存在しているのだろう.
当時の僕に欠けていた想像力のツケは,後輩の自死という現実によって埋め合わせられた.
僕はそれを知って,初めてあのときの自分をぶん殴ってやりたい気持ちになった.
心の中の英雄を揺り動かして戦えるほど,多くの人は強くできていない.
僕もそうであったように,当事者にならなければ,その時まで人は戦士になったりなどしない.
戦士になるために死に直面しろと言っても,それはそうなってしまった悲しい奴らの傲慢でしかない.
そして戦士になった先で,生きるという選択肢を掴める者だけとは限らない.
母校の後輩のように,死を選ぶ者は居るし,どうしてそれを責めることができるのか.
人は一人によって殺されるわけではない.
人は一人で死ぬわけでもない.
僕は空想に耽るのが得意で,好きでもあったから,それを知ることができた.
そのようにして死を想い,自分の生を選択することができた.
生きるために生きようと思えたのは,そういう自分だったからだ.
そしてそのように育たてられ,そのように育つ環境があったからだ.
生きるためには,走り続けなければならない.
その場に留まり続けるために,疾走しなければならない.
結局の所,母校の後輩が僕のことを応援したことなど一度もないし,言葉を交わしたこともない.
僕の友人が何を思って僕と付き合っているのかなど,その本心を知る由もないし,何か別の理由があってのことかもしれない.
両親が僕のことを愛してくているのは,その愛に酔っているだけで,ペットを飼うのと本質は何も変わらないのかもしれない.
それでも,彼らの高潔さが,魂のノーブルが僕のことを支えてくれていると知ったのだから,僕はそれを誇りにして生きたい.
継承とは,つまるところそういうものである.
そのようにして生きた先で,僕の命が何かに受け継がれていくことがあるのなら,それほど嬉しいことはない.
だから,かくあらんとするのだ.
思い返すとこのブログでは,同じことを,言葉を変えてリフレインしている.
結局の所は生きるために生きて,振り返りの総精算が幸福に満ち溢れていろよと,そういう願いを持っているというだけである.
だが,それが僕の人生のコンセプトだ.
勝つためではなく,負けないだけの人生.
そのために学び,模倣し,進化して,疾走を繰り返すのだ.
そういうことを改めて決意した,今日はそういう一日なのだ.