感謝される人間になる
感謝される
僕は感謝することを,当たり前のようにできる人間だ.
自分だけでは生きられないという感覚を,実感を伴って持っている.
だから,感謝をすることは生きる上で必要なことであると,そう思っている.
だがそれだけではいけないことを知った.
僕は誰かの恩恵の上に生きている.
感謝することは義務であり,そして感謝できるということが当たり前でないこともまた,僕は知っている.
感謝できるという幸福は,誰しもが持ち合わせているわけではない.
だから感謝できる自分を形成した環境や歴史には,それこそ感謝しきれない重みがある.
そして僕はその歴史の一部になると,そう宣言した.
だから僕は,感謝することを日常とし,そしてそれを特別ありがたいことであると,そう規定した.
しかしそれだけではダメなのだ.
足りないものがあるのだ.
それは,僕もまた感謝されるということだ.
僕が誰かに感謝をしているように,僕もまた誰かに感謝されなければならない.
僕はその歴史の一部になると決めたのだから,誰かがそれを誇りにしたいと思えるように,僕の人生もまたそのようにならなければならないのだ.
感謝されることは,簡単なようで難しい.
思考とは,余暇である.
そして感謝とは,思考である.
だから感謝には余暇が必要で,満たされて居なければ感謝はできない.
僕は満たされて生きていたのだ.
そしてそれは,当たり前のことではないのだ.
僕は,誰かを満たしたい.
感謝されたいのではなく,感謝という幸福をこそ,周囲に与えたい.
この幸福は,独占されるべきではない.
僕は,それを僕一人のものにはできない.
酷く傲慢な考えだが,それでも必要な思考だ.
感謝できる自分を育んでくれた全てのモノに報いるためにも,僕は感謝される自分でありたい.
それは簡単なことではないが,それでもそこを目指したいのだ.
そんなことを,思ったのである.
デートしてきた
さて,こんな事を考えていたのは,今日デートしてきたからである.
いつも就活の面倒を見てくれる友人である.
彼の買い物に付き合うという名目で,外に出た.
理由をつけてでも僕を連れ出してくれるのだ.
それだけでも感涙モノである.
色々と買い物をしたが,なんだかんだで僕の主婦力とオタク力は高いようであった.
PC用品,アクセサリとか,家電とか,まぁまぁな知識がある.
スーパーマーケットでの買い物でも,経験がある分いろいろとスムーズに動ける.
何より,店員を引っ張ってきて質問を浴びせるという行為を,何のためらいもなく敢行できる.
曰く「居ると買い物が捗る」らしい.
こういう日常の所作に効率厨の様相を醸し出すのも,僕の強みのようだ.
僕が感謝をするように,彼からも感謝されているという事実が,とても嬉しい.
社会人としての格は比べるべくもないが,それでも人間として対等で,尊敬しあえる関係であるのが,とても嬉しいのだ.
自然体に感謝をし,自然体にそれを喜びにできることを,大切にしたい.
そしてそれを広げていきたい.
そう思った一日だった.
明日はアルバイトなので,しっかり寝よう.
今夜はLJLがやってるので,見たらすぐに寝る.
そして明日早く起きる.
よし,完璧な一日だった.