イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

ニート期間を振り返る

ニート期間を振り返りたい

エントリーシートを書くに辺り,モチベーションチャートなるものを書くことなった.

自分という人間がどういう生き方をしてきたか,モチベーションの変動を時系列にまとめることで表現するというアレだ.

 

僕の記憶は,小学生と中学校の時代において,非常に曖昧である.

行動歴を振り返るだけでも,記憶を掘り起こすためには相当な負荷がかかる.

 

記憶のない時期は,意外と存在するのだなと思う.

僕自身,ニート生活を始めてからというもの,いくつか記憶が曖昧な時期が存在していることに気づいた.

 

なのでニート生活を始めてからの自分を,雑に振り返ってみようと思う.

 

ニートになる前をザックリと振り返る

僕は高専を出て,電気通信大学編入した.

その後2019年に卒業し,同大学院に進学する.

研究室は学部と同じだ.

そんなこんなで,僕は2019年4月から大学院生活を始めたわけなのだが……

 

2019年8月 体調を崩して引きこもる

大学院での過労とストレス,将来不安から心身を病み,引きこもるようになる.

当時は自分のメンタル面の弱さが原因だと思っていたが,どうやら複合的に発症していたのではないかと,今では思う.

 

研究室運営から始まり,後輩の面倒を見るだけでなく,共同研究室の作業を手伝ったりなんだりと,細かいタスクが降りかかり続けていた.

実験協力者とのコミュニケーションや他との調整もしていた.

講義もきちんと受講して,勉強を欠かさないようにしていた.

 

研究室から受けるストレスが,最も大きいな比重を占めていたように思う.

ミーティングでは誰も議事録取らないし,部屋の貸し借りもしないし,準備もしないので,全部僕がやっていた.

改善を訴えても,誰も行動しない.

結果,僕だけがずっとピエロを演じ続けることになった.

開発環境のショボさも相まって,細かいストレスが蓄積していった.

 

スケジュール的にもカッツカツの状態で,実験が迫ってきた.

そんな中で,僕の開発用PCが壊れた.

初期不良だった.

 

ボスの不手際で1ヶ月ほど納入が遅れたにも関わらず,さらには修理で時間がかかることになり,自分の作業が続けられなくなった.

他のPCをセットアップし直すこともできたが,僕にはもう,そんな気力は残されて居なかった.

やるべきことを消化せず,ただただ実験予定日だけが近づいてきた.

 

僕はボスに,もう無理ですと伝えた.

大学をやめたいと,そう言った.

 

心療内科も受診した.

うつとは診断されなかった.

 

僕は色々なことが嫌になり,目をそむけることにした.

そこから2ヶ月くらいの間は,ほとんど記憶がない.

何をしていたのか,どう息をしていたのか,すべてがわからない.

 

今僕がこうして生きている以上,きっと生命活動は行っていたのだろう.

だがその当時,僕は死んでいたのだと思う.

それ以上の記憶は,もう残っていない.

 

2019年10月 就活を始める

今では動機も思い出せないが,その時の僕は就活をしようと思い立ったようであった.

親に大学をやめたいという意思を告げ,大学の就職相談を頼ると言ったことだけは,今でも覚えている.

 

10月末,大学の就職相談室に行くと,10社程度の求人を紹介された.

東京にあるトラディショナルな中小IT企業が一番ピンと来たので,そこに応募することにした.

 

面談開始は11月中旬以降だった.

大学編入時に買ったスーツの袖に,改めて腕を通すことになった.

 

面談相手は,50代くらいの人事の人だった.

人生経験豊富そうな趣で,選考以外の面でも,僕のことについていろいろと面談してくれたように思う.

何を喋ったのかは覚えていないが,それによって救われたのは確かなことである.

 

緊張と恐慌,それに疲労があったのだろう.

何をするにも,おぞましいつらみと痛みが襲ってきた.

それでも前に進むんだという空元気で,なんとか就活を継続していった.

 

2019年11月 高専時代の友人のDiscordサーバーに入る

調布で開催されたコンベンションに参加したのがきっかけだった.

一人虚しく消化するビデオゲームに寂しさを覚えた僕は,TRPGをやろうと思い立った.

コンベンションで触った「白の海のスカイヴァティアーズ」というシステムが,僕の初

TRPGタイトルだった.

 

コンベンションの帰りに,参加者の人と話す機会があった.

その人は社会人で,IT関係の仕事をしていると語った.

 

僕は引きこもりで,研究から逃げてここにいると伝えた.

その人は,生きるために仕事は必要で,

できることを懸命にすることが大事だと,そんなことを言っていた.

 

……ような気がする.当時の記憶は,やはり定かではない.

時系列も内容も,その多くが整理されていない歴史ばかりだ.

 

なにはともあれ,そこでTRPGの楽しさを覚えた僕は,衝動買いしたソード・ワールド2.5のルルブを,自慢気にTwitterでつぶやいた.

それを見た高専の友人に声をかけられ,Discordサーバーに入ることになった.

 

Discordサーバーには,多くの級友が集まっていた.

大学に編入してからというもの,疎遠になっていた者が大半を占めていた.

 

TRPGは面白く,何回かPLをするうちに,GMにも興味が湧いた.

次第に僕もシナリオを書くようになり,GMとしてもゲームをプレイするようになった.

 

このサーバーでは,今でも活動している.

ゲームをする仲間がいるというのは,とてもありがたいことなのだと思う.

 

そして現在進行系で,その仲間に助けられてもいる.

就職活動という苦痛を共有してくれる友人は,すべてここで再開した仲間たちなのだ.

 

2019年12月 高専キャリアを尋ねる

就活を始めてから少し勢いづいた僕は,高専キャリアを訪ねた.

高専の先輩のブログ記事に「困ったら僕に声をかけるといいことがあるかもね」と書いてあったので,そうした.

その記事自体は,当時でも2年前に書かれたものであった.(今から言うと4年前の記事)

 

そこでいろいろな企業や大人,イベントを知った.

キャリア開発の場として,高専関係者が集まっていろいろなことをしているのだと知った.

 

企業の紹介やマッチングについても,いろいろとお世話になった.

結局,縁は実らなかったものの,多くの機会をもらえた.

 

機会をモノにできなかったのは,僕が幼く,未熟で,そして壊れていたからなのだと思う.

そう,当時の僕は,崩れた心身の状態を,まだ治すことができていなかった.

 

それでも,就職活動は荒療治として機能していたようにも思う.

結果としていろいろな勉強会にも参加することができたし,自分のキャリアに対する認識が,強固なものになったとも思う.

 

2020年1月 都内の中小IT企業に内定

年が明けると,受けていた都内の中小IT企業から内定を貰えた.

僕自身はそれを喜ぶ反面,他の選択肢の魅力についても,惹かれ始めていた.

 

高専キャリアは,ベンチャーやスタートアップが集まるコミュニティだった.

だからそこには,そういうノリを持った人間が大部分を占めていた.

 

彼らの多くは,生存性バイアスが色濃く出た人間であった.

「いろいろと大変な思いをしたけど,やり遂げた結果としてここにいる」というのが,彼らの共通項だった.

 

僕は彼らのようになりたいとは思わなかった.

僕はテクノロジーを使ってまで,選別や競争をしたくなかった.

 

それでも,彼らはエンジニアとしても人間としても立派であった.

だから憧れは持ち続けた.

その憧れは,今でもずっと続いているように思う.

 

2020年3月 休学を決意する

僕は休学を決意した.

内定をもらっていた企業には,内定辞退の意思を伝えた.

 

振り返れば,きっとこれは正しい選択だったように思う.

当時の僕は,まだ壊れていた.

あの状態で社会に出ていたら,きっと取り返しのつかないレベルに壊れてしまっていたのだと思う.

 

高専キャリアの主催するビジコンに参加してもみた.

コンテストは面白かった.

 

チーム内での連携も取れていたし,自分の役割も果たすことができていたと思う.

自分としては至らない点も多かったと思うが,それでも仲間からは「できる人」だと言われ,嬉しかった.

 

その後の逆求人イベントでは,医療xITのベンチャー企業と知り合った.

1年前くらいに書いたこのブログの記事に,当時の記録が少しだけ残っている.

Ruby on Railsチュートリアルを済ませて,インターンシップに来ないかと言われていた.

 

結果としては,僕はそれを乗り越えることができなかった.

コロナとかいろいろな言い訳をすることはできるが,結局の所,当時の僕にはそれをやりきるだけのエネルギーが残されていなかったのである.

 

あの時,もう少し頑張れていればと思うことがある.

それと同時に,頑張れなかったのが自分なのだと,諦めを受け入れる心もある.

やはり情けなさと引け目はずっと感じるのだなと,改めて思う.

 

2020年4月 再び弱い自分に出会う

この頃から,就活よりも自己研鑽を優先しようと考えるようになる.

さしあたっては,基本情報技術者を取ろうと,勉強を始めた.

 

求人イベントにも,参加を申し込んだりもした.

新卒学生のレベルとしては偏差値55~60くらいの位置にいる人間だと自負していたので,期待を胸にイベントを待っていた.

 

また,ここから1年くらい,家事をすることがライフワークとなる.

正式に休学期間がスタートし,学業からも開放されたので,時間だけは有り余っていたからだ.

 

収入もなく,勉学に励むわけでもなく,ただただ日々を過ごすことが怖かったのだと思う.

居場所を確保するためにも家事だけはしているという,外面を意識しての行動だった.

 

なんだかんだで,家事は自分の性に合っているようでもあった.

生活力という点に関して言えば,僕は相当にある部類なのだ.

こうして少しずつ,僕は壊れた心を治していくことになった.

 

2020年5月 コロナですべてが破壊される

コロナがうんぬんで,資格試験も,求人イベントも,すべてがキャンセルとなった.
僕はやり場のない怒りと,途方も無い虚無感に襲われた.

今振り返れば仕方のないことであったが,その時の僕は,すべての機会が失われたのだと思っていた.

 

つまるところ,僕は機会によって生かされていたのであり,自発的なモチベーションで駆動していたわけではなかったのだ.

その機会がすべて取り払われると,僕は何もできなくなってしまうという事実が,この一件で明らかになった.

 

実際問題,怠惰な生活を過ごすことになった.

夜ふかしするし,朝起きれない,昼夜逆転生活が続いた.

 

幸運だったのは,家事だけは続けていたことだろうか.

犬の散歩は欠かさずやっていたし,台所の仕事もこなしていた.

 

夕飯の献立を考えるのはそこそこ大変ではあったが,それでもこなせていた.

ハンバーグ,餃子,唐揚げなど,子供の味覚で美味しいと感じるものを,幾度となく作っていた.

実際,家族は好評だった.

 

その他にも,料理ならそこそこハングリーにチャレンジしていたと思う.

次第に健康的な献立を考えるようになったし,彩りも工夫し始めた.

家事が楽しいと,そう思えるようになった.

 

怠惰な生活は,僕にとって薬になっていたのだと思う.

 

2020年6月 小学校の感染防止対策のピンチヒッターになる

休学してから少し経つと,地元の方から声がかかった.

地域の小学校で感染防止対策するために人手が必要とのことなので,僕が行くことになった.

 

基本的な仕事は,校内スタッフと同様のものであった.

校内の除菌や諸事務,低学年生の対応など,いろいろなことをした.

授業を手伝うことも,結構多かった.

 

公立の小学校は,どこも人手不足なのだなと思った.

若い先生たちは,皆心身を削って働いていたように思う.

それはとても立派で,そして救われないものだなと,当時の僕は無責任にもそう思っていた.

 

僕一人が増えても,解決されないことの方が多かった.

初等教育が抱える問題は,実際に現場に携わってみるとよくわかる.

 

僕が小学校に在籍していた時と比べ,10年以上の年月を経て,業務内容が肥大化しているのだ.

そして圧倒的に人手不足でもあった.

教員数は,当時よりも減っているように感じた.

 

意味のない仕事,外部委託するべき業務の多くを,教員がこなしていた.

生徒に集中しなければいけないはずが,そうした時間を取れずにいる教員の姿が目立っていた.

 

授業準備も,若い人が一人いてくれるだけで随分と楽になると,そう言っていた.

実際,僕が効率的に何かをこなすだけで,多くの教員が楽になっていたように思う.

 

MS Office周りでいろいろと聞かれることも多かった.

不本意ではあるものの,僕はOffice製品について相当に詳しい側の人間であった.
だから,いろいろと改善できることは改善した.

 

小学校には3ヶ月ほど関わっていたが,なかなかに密度の高い時間を過ごしていたように思う.

僕の参画は問題の根本を解決しなかったが,それでも意義があり,充実していた.

 

子供というものは,とにかく元気でいっぱいだった.

そしてあらゆる意味で,本能に素直な生物でもあった.

 

好きなことははばからず,好き勝手に敢行するし,バレて不都合なことは頑なに隠そうとする.

とにかく欲望に忠実で,尊敬に値する程に素直な人間であった.

 

教員とのソリが合わず,職員室でべそをかいていた子も居た.

好き勝手に走り回るくせに,授業中に寝たり,図書室で静かにできなかったりと,いわゆる厄介な子だった.

 

どういうわけか,その子の面倒を僕が見ることになった.

僕はとくに何か言うこともなかったので,裏紙を使って折り紙をしていた.

別に特になんの意味もない行為だった.

 

頑なに自分の非を認めたがらない子供は,どこにだっている.

僕もそういう子供だったように思う.

 

僕は理髪で,要領が良く,不相応に大人びていたから,トラブルを起こすことはなかった.

そういう意味では,彼は要領も悪くて子供っぽいから,トラブルを起こしがちなのだと思う.

 

それでも,僕と彼には頑固者だという共通項があるように思えた.

だから,僕はあえて沈黙を選んだ.

 

誰から何を言われても,自分が悪いと認めるに値する根拠が得られないから,彼は今べそをかいているのだ.

そうした気持ちを和らげるには,結局の所なにか別のものに没頭するしかない.

それは内省であってもいいし,娯楽であってもいい.

 

だから僕にできることは,沈黙することだけだった.

そして暇だったから,僕は折り紙を折っていた.

かつて僕が彼と同じ位の年の頃に,折り紙に傾倒していたように,そうした.

 

正八面体を折っていると,その子が食らいついてきた.

結果としては,折り紙をやってる内になんか元気になってくれたので,先生とも色々と話せるようになったそうだ.

 

瞬発力の高い子だなと思った.

僕にはできないことを,7歳8歳の子が,すでにできるようになっているのだ.

 

そういう小さな発見を積み重ねながら,夏を過ごした.

 

2020年9月 弱い自分に戻る

小学校に関わるという貴重な機会を貰えた僕だが,それが終わると,また虚無の時間がやってきた.

秋こそは基本情報技術者を取るぞと思っていた矢先,こちらも中止となった.

 

目標を失い,僕はまた弱い自分になった.

半年ほど,本当に何もしない日々が続いた.

 

死んだ目でTwitch配信に張り付いては,キモヲタの活動を続けていた.

気がつくと昼夜が逆転し,曜日感覚や日付の感覚が狂っていった.

 

助けてほしい,救われたいという思いだけが僅かに精神の表面上をくすぐっては,僕の心を緩やかに締め付けていった.

それでも,僕は自ら行動を起こすことはなかった.

Disicord上でダベり,ゲームをし,配信を見て,楽をして過ごしてきた.

 

結果としては,これも薬になったのだと思う.

本格的に何もやらなくなった結果,今は何かをしたいという意欲に燃えることができている.

 

僕に必要だったのは,おそらく落ちることだったのだと思う.

動力を持たない人間が空を飛ぼうとしても,滑空しかできないのだ.

空気を切って飛ぶ感覚は大切だが,一度地面に墜落することもまた,飛び上がるためには必要なことだったと,今ではそう感じる.

 

何にせよ,この期間はずっと,虚無な日々を過ごしていた.

失ったものの方が,多い時間だった.

 

だからこそ,今歩き出せているのだろう.

堕落を共にしてくれた友人には,感謝しかない.

 

2021年2月 休学延長の手続き

休学期間終了の通知が届き,現実に引き戻される

復学の準備も,社会復帰の準備も,どちらもしていない

アカデミアでやりたいことが見つからず,復学は選択肢から除外した

 

両親にはその旨を伝え,もう1年の休学を決断した

休学延長の手続き自体は,2週間もかからずに済んだ.

メールの一言一句を揃えるのにとてつもない痛みを伴った記憶は,今も鮮明に残っている.

 

2021年3月 就職活動再開

3月15日に,就職活動を再開した.

ここからの自分はすべてブログに書き残しているので,記憶ではなく記録として当時の自分を追うことができる.

 

まずはマイナビ20'sジョブズやハタラクティブなどを頼ってみた.

結果としては,これらのサービスを使うのは最終手段だと感じた.

IT業界,もっというとITエンジニア業界の闇や構造を具体的に知ったのは,このタイミングだった.

 

Wantedlyを活用し,いくつか企業を受けてみた.

書類選考で落ちるところもあれば,面談にこぎつけられたところもあった.

 

3次面談まで進んだゲーム系SESの選考は,長い期間の末にお祈りされた.

色々と思うところもあったが,そこまで大きな痛みは感じなかった.

最初に面談に乗ってくれた企業で,勇気を貰えた側面もあった.

この企業に出会わなければ,おそらく前に進むことはできなかったのかもしれない.

 

就活をきっかけに,友人とも再開した.

就活という痛みを乗り越え社会に出て活躍する彼らからは,多くの勇気をもらった.

そして現在進行系で,それは続いている.

 

2021年4月 就活アウトロー採用

就活アウトロー採用というサービスも頼ってみた.

ドロップアウトしたりして既存の就活からはじき出された人間でもいろいろできるという触れ込みだ.

わらにもすがる思いで,参加してみた.

 

内容としては,自己認知を促進するためのイベントだった.

アイデンティティを認めようとしない古い社会システムの崩壊と,それでもそこが就活

市場のマジョリティであるという致命的な軋轢の前で,僕らはどのようにキャリアを形成していけばよいのか.

それを探すのが,このイベントの意義なのではないかと,振り返ってみて思う.

 

結局,その答えは得られなかった.

何をするにも,リスクは伴う.

どのリスクを背負い,どの幸せを掴みたいと願うのかが,これからの時代を生き抜く上で必要なことなのだと知った.

 

アウトローとして生きるためには,覚悟をしなければならない.

古い価値観を捨てなければ,負け組である僕は生きることができない.

 

救いなのは,マジョリティからこぼれ落ちても,それが死を意味しないことだと感じた.

マイノリティであっても,自分の価値を知り,自分の望みを知り,他者の願いを知るこ

とで,マジョリティにはできないことが達成可能なのだ.

僕はそのように生きることになるのだろう.

 

多くのものごとを,このイベントを通じて知ることになったと思う.

 

2021年5月 就活ラッシュ

虚無のGWを過ごした.

久々に,なにも考えない時間を過ごしたように思う.

 

今は,就活アウトローで知り合ったいくつかの企業の説明会や選考を受けてみている最中だ.

就活を進めていくと,少しずつ自分という人間の核が見えてくる気がする.

対話をしなければ,僕は僕の本質に近づくことができないのだ.

 

そうして見えてきた本質の中に,僕が選びたい未来の正体が隠されているのだと思う.

就職活動は激しい痛みとつらみを伴い,今すぐにでもやめたくなる.

それでも,僕は僕の本質が知りたい.

だから今はまだ,就活をやめるわけにはいかない.

 

就活を再開してから,ちょうど2ヶ月になる.

僕は変われているのだろうか.

ブログを読み返してみる分には,結構な変化があるようにも思う.

 

ただ一つ言えるのは,僕にとって,就職とは非常にハードルの高い行為であるということだ.

僕は圧倒的に就活弱者で,就活という行為が他者と比べて非常に不得手なのだ.

 

苦手であるは,それでも生きるためにはなんとかしなければならない.

既卒ニートの就活日記は,僕が就活を追えるまで続く.

ブログの更新が止まる日は,まだ遠そうである.

 

エントリーシートを書く

さて,ザックリとニート生活を振り返ってみた.

意外と思い出せることも多かったし,振り返ってみて思うこともあった.

 

僕は,ニート生活という歴史を,大事にしたいのだと思う.

情けなさと恥ずかしさに塗れた日々であったが,それでも僕という歴史の一部なのだ.

これを愛して,僕は生きたいと願っているのだ.

 

振り返ることへの恐怖は,いくばくか薄れたように思う.

モチベーションチャートを完成させ,エントリーシートを書き上げようと思う.