イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

真面目にブログ書き始めて初めての年末

今年も楽しい一年だった。(決めセリフ)

よし。

決めセリフも決まったので、良い一年になった。

 

いやよく考えると、3月半ばに始めた就活は終わるまでに半年かかったし、結構なつらみがたくさんあったようにも思う。

記憶として覚えていなくても、記録には残しているのだから、良くない出来事も多分にあったのだ。

 

そういえばwantedly経由でゲーム系のSESも受けたし、その手のアプリ会社も受けたりした。

常駐系のSEも受けたし、自社サービスしてるとこも受けた。

専門外の文系職も受けた。

へんてこなところだと、パチスロの企業なんかも受けたりした。

 

元はと言えば、新卒として来年の4月に入社できるところを探していた。

一応は卒業後3年目の新卒扱いされる身分だったので、それを使おうとしていたのである。

 

もちろん、それはひとつのあり得た未来でしかなく、実際にはすぐ働けるならそれでもいいと思ってはいた。

結果として、中途採用として現職に収まってもいる。

何があるかは、わからないものである。

 

振り返ると、こうして現職に就いたのは良かったことのように思う。

おそらく、4月入社で内定が決まったのなら、その間に引きこもっていただろうし、それで気を病んでもいただろう。

 

今、すぐにやるということは、とても大事なことなのだと思い知らされた。

3ヶ月働いて知ったのは、3ヶ月というのは振り返ると短い期間であるのに、得られたものはとても大きい、ということだ。

 

大学院から逃げて過ごした2年間は、本当になにもしていなかった。

24ヶ月という時間を持って、僕は堕落を突き詰めた。

 

それがわずか3ヶ月で、僕は僕らしく、日常を楽しめるようになってしまった。

不思議なものである。

 

就活というものに対してはおよそ良い印象など持ってはいないが、多くの人に感謝はしている。

 

最初の就活で、僕を受け入れてくれた、小さなIT企業。

いろいろと理由をつけて内定を辞退したが、僕を受け入れてくれる場所があるという事実が、前に進む勇気をくれた。

 

だいぶ厄介なタイプの高専生だった僕に、色々と声をかけてくれた高専キャリア。

最終的には、僕が気を病んでから自然と就活から離れ、疎遠になってしまった。

 

良縁を作れなかったのは僕の弱さが原因だった。

それでも、引け目を感じた分だけ、誰かに奉じることのできる人間になろうと思えたのは、彼らが真摯に僕のことを見てくれていたからであろう。

 

就活を始めてから、色々なことが変わった。

高専卒業後に疎遠になっていた友人とも再開したし、それがきっかけで立ち直る機会を得ることもできた。

 

就活は等しく苦痛だったが、そこに付随するコミュニケーションによって、僕は救われていた。

おせっかいなくらいに声をかけてくれたことが、とても嬉しかった。

 

僕なんかよりも遥かにすごいやつらが、僕のことをすごいと言ってくれたのだ。

そういう居場所があったから、そう言ってくれる企業を探そうと、そう思えるようになった。

 

そういえば、就活アウトロー採用なる謎のイベントにも参加していた。

いや中身は至って健全な採用イベントであったし、そこで学んだことはとても大きかった。

 

なんだかんだでイベント開始から4ヶ月間くらいかけて、面接や面談をたくさんした。

カルチャーフィットに対して死ぬほど力を割いている企業も、たくさんあった。

おかげで僕は自分の内面に対して相当深いところまで思考することにもなったし、その分だけ誰かに対して寛容になれるようになった気もする。

 

最終的には、リクルーター経由で現職に就くことになった。

当初頼ったエージェントサービスがことごとくダメだったので期待してはいなかったのだが、僕を担当してくれた方が、人材熱のある、とても良い人だったのが大きい。

 

全く接点のない人間から、僕には価値があって、働けば光ると、そう言われたのが大きいのだと思う。

自分ができる人間だという自覚を持ち、自惚れることなく足元を固めていくことを学び始めることができたのも、それが理由のひとつだ。

 

就職が決まってからは、毎日が一瞬だった。

内定承諾をした日から家探しを始め、兄を巻き込み、新生活に向けて行動をし続けた。

ワクチン打って寝込んだりもしてたが、それもいい思い出になりつつある。

 

新居に移ったらホームシックになるのかとも思っていたが、そんなことはなかった。

僕も兄も、努めて実家のように暮らすことを意識していたし、隔週で両親と顔を合わせていたのも大きい。

だから、こうして年末年始に実家に帰ってきても、そんなに懐かしさはなかった。

 

僕の自室は、両親のシアタールームにするべく、絶賛リフォーム計画が進んでいる。

見慣れていた自室は、もうない。

 

中学の時にPSPで遊んでいた痕跡も、高専の時に課題をやっていた痕跡も、大学の時にPCをいじっていた痕跡も、ニートの時に引きこもっていた痕跡も、全部なくなった。

今寝泊まりしているのは客間であって、僕のかつての自室ではない。

 

しかし、それが寂しいと感じることはなかった。

つくづく、不思議なものだと思う。

 

きっと失ったのではなく、移り変わっていっただけなのだ。

僕が捨てた選択肢の多くは、失われたのではなく、移り変わって今の僕を形成する因子のひとつとなったのである。

 

そうした経験とは、何も特別なものではないのだ。

どこにでもあって、それでも喪失感の方が大きいから、悲しいことになりがちなだけなのである。

 

少なくとも言えるのは、なんだかんだで今年は良い一年になったということだ。

頑張ることを楽しいと思える範囲で、存分に頑張った。

 

無責任な考え方だが、それでも、僕にとっては価値のある考え方だ。

そういう楽しみを連ねて、明日を良くすることを学んだのだ。

 

動き出してみて、本当に良かった。

そして、意外となんとかなることを知った。

 

きっと、ニートを経験してから就職するというルートも、段々と普通になっていくのだと思う。

若者と呼ばれる世代への支援は圧倒的に薄いし、それでいて実力主義をつきつけて来もする。

 

心を病むことは、きっと珍しいことではないのだ。

それでも僕は僕が特別だったから、僕は誰にも理解されないのだと定義することで、精神の疲弊を特別なものにしようとした。

 

それはきっと、大切なことなのだ。

自分を特別扱いするのは、自分を守るために必要なことなのだ。

 

自分が平凡だと思えと、多くの「良書」は語りかけてくるだろう。

就活の課題図書で読んだ「幸せになる勇気」なる本は、まさにそういうことを告げるものであった。

 

が、僕は天邪鬼でクソガキなので、それを強制されたら反抗したくなるのである。

誰かの定義した幸せなど、不要なのだ。

 

僕は平凡未満でいい。

薄れてていい。

優れてなくていい。

 

それでも、誰かにとっての特別でありたい。

僕が本心から誰かのために行動しているのだと己を規範しているように、誰かもまたそのようにして僕を思ってくれているのだと、そう信じたいからだ。

 

届かぬものに憧れることを、やめることなどできない。

愚かで、不幸な生き方でも良い。

それでも、真摯に生きたいのである。

 

そのようにして、来年もまた、楽しい一年となるだろう。

僕が楽しい一年にするのだ。

 

今日と明日の境界を敷いたように、今年と来年にも境界を敷くのである。

そのようにして、少しずつ大人になろう。

 

今年も残り数時間となったが、最後まで楽しみ尽くす所存である。