誰かにとっては違うかもしれないが僕にとってはハッピーニューイヤー
新しい年が始まった。
去年が楽しい一年だったので、今年はさらに楽しい一年が始まったのだ。
その初日は、いつもどおりに年明けと同時に初詣に行って、交通安全祈願を受けて、おせちを食って、美味いもの食ってと言う感じであった。
我が家の変わらぬ年明けである。
鏡餅は飾らないし、その他お飾りもしていない。
あくまでも飯を食って酒を飲むのがイベントの主題である。
変わったことがあるとするなら、いつも初詣に行ってるところの屋台から、クレープ屋がなくなってしまったくらいか。
特に理由はないのだが、初詣はなぜかクレープを食うのも定番になっていた。
コロナで屋台を出しにくいのだろうし、クレープはそもそも回転率が悪いのだから屋台としては微妙だったりするのかもしれない。
こんな形で、毎年の定番というものはなくなったりしていくのだ。
そういう意味では、こうして実家でスマホいじって寝て過ごす正月も、これからもずっと続くとは限らないだろう。
いつもの、というものは、誰かの不断の努力によって支えられているものだ。
僕も社会人になったのだし、それを支える側になったわけである。
来年もいつもどおりの正月を迎えられるよう、今度は僕が努力する側になったのだ。
血縁としては子だが、もう身分としては子供ではいられない。
寝床も飯も、今度は僕が提供できるようにならねばならない。
それが、当たり前の正月を与えてくれた両親への、礼儀というものであろう。
これは正月に限らず多くのものに言えることではあるのだが。
まぁ、肩肘張らず、まずは自分の生活から安定させていこう。
直近の課題はお仕事であるし、解雇されたり減給されたりしないように頑張らねばなるまい。
今の僕がどのように評価されているのかはわからないが、真面目にお仕事はこなしている。
あとは、成果をきちんと上げていかねば。
そんなわけで、今年も頑張ることを楽しいと思える範囲で頑張ろう。
思想は変わらずとも、己をアップデートして、いつもどおりの日常を豊かにする所存である。