絶対的な救いはこの世に存在しないので明日死ぬかもという覚悟が必要
就活アウトローの説明会に参加した
キャリア解放区が主催する就活イベントの説明会に参加してきた.
現役学生も,中退者も,既卒者も,ニートも,関係なく参加できる就活イベントらしいと聞き,僕も参加をしようと思ったのがきっかけだ.
イベントの内容は,求職者と採用者が哲学をぶつけ合って対話し,意気投合したら選考を始めるという形だ.
イベントそのもので内定を作って手に入れるのではなく,思想や感覚がマッチする企業や学生を,対話を通じて力ずくで見つけようぜということらしい.
だから選考自体はイベント終了後に個別でコンタクトを取って行うようだ.
説明会では,ほとんどイベント内容については告知されなかった.
就活市場が抱えている問題の根本的な部分について講義がなされ,就活には明確な正解が存在しないという,残酷ではあるが当たり前の事実を聞かされた.
その後は,どういう理念でイベントをやってるのか,どういうスケジュールで進むのかの説明を受けた.
結論から言うと,僕はこのイベントに参加するつもりだ.
なぜならば主催者の語った言葉は,僕が感じていた就活市場への違和感を言語化したものと,すべてが一致していたからだ.
就職に正解は存在しない
就活市場のいびつさの正体は,インターネットで1,2時間程度調べれば大体わかるようになっている.
高度経済成長期に作られた,無限の経済成長を前提とした社会システム.
現在の就活のシステムもまた,この時代に生み出されたものである.
経済が成長するから,企業は明確に存在する「正解」を続けていれば無限に利益が増えていく.
だから人が増えるし,人が増えれば役職が生まれ,美味しいポジションに長く居続けることが賢い選択となった.
新卒一括採用もまた,これを効率的にするシステムである.
無限に成長して利益を出す会社が存在するなら,そこに長く居続けて,美味しいポジションに長く就くことが「正解」である.
管理教育がしやすくて組織構成を整えやすい新卒は,企業として採用したい存在である.
そして学生もまた早く正社員になって美味しい思いをしたいから,そこを目指す.
だから当時の日本は,合理性に基づいて新卒一括採用というシステムを生み出した.
しかし高度経済成長期が終焉を迎えると,日本のGDPは横ばいになった.
新卒を採用したところで,企業は肥大化した人員すべてを養うことができない.
日本が貧しくなったわけではないが,成長を前提とした社会システムの破綻はすでに表面化してきている.
新卒一括採用の仕組みも,時が経てばいずれ終焉を迎える.
新卒採用自体はなくならないが,形態は変わったものとなる.
VUCAという概念がある.
Volatility,Uncertainty,Complexity,Ambiguityのイニシャルをとったキーワードだ.
世の中何をやろうにもあらゆるものが変化するし,予測できないし,難しいし,しかも中で何が起こってるかがわからない時代.
Covid-19はその象徴である.
誰がこんな自体を予測することができただろうか.
ウィルスが自然発生的に登場したのなら,誰がこんなことになると予想したのだろう.
VUCAの時代においては,国ですらもその不確実性と急激な変化に翻弄される.
ましてや企業もまた,その激動の中で試され続けていく.
個人についても,言わずもがなだ.
人間の寿命は長くなる.
一方で,企業の寿命は減る.
企業選びに正解は存在しない.
もっというと,あらゆるものに正解は存在しない.
存在するのは自分の選択と,そこにつきまとうリスクのみである.
どのリスクを選ぶのか,どれが自分にとっての正解かを,僕たちは自分で選ばならければならない.
誰かが提示した「正解」は,真実として正解である保証はない.
だからそれを選ぶのならば,もしかしたら正解でないかもしれないというリスクを選択することにほかならない.
そしてそれも選択肢の一つである.
これは説明会の主催者の受け売りでもあるし,僕という人間が生きる中で得た答えの一つでもある.
少なくとも,就活という行為の前提にあるもの,それにより生じた問題,そしてどう向き合うべきなのか.
そうした認識が,僕と主催者の間で共通していたから,僕はこのイベントを信頼しようと思った.
リスクとは,対話とそれによる理解で,ある程度を明確にすることができるのだ.
そしてその絶対値は,試行錯誤の末にのみ,明らかにされるのである.
試行錯誤と対話
多くの凡人は,未来を知ることができない.
だから未来を選択する上で発生するリスクもまた,知ることはできない.
求職者である僕は,あらゆるリスクが0の超優良企業に入社したい.
採用者である企業もまた,完全無欠でリスク0の超有能に入社してもらいたい.
でも僕たちは凡人であるから,どちらのリスクも0にすることはできない.
リスクは必ず存在するから,僕はこうしてニートをしているし,企業もまたそうした人間から人材を調達している.
それでも,リスクは最小化されるべきである.
いや,リスクを最適化して最小化することは不可能であるから,準最適な程度に,十分小さくすることが望ましい.
そのためには,試行錯誤と対話が必要である.
不明瞭で絶えず変化を続ける未来に飛び込み,それを知らなければならない.
自分を公開し,他人に知ってもらい,フィードバックを経て自分を知り,誰も知らなかった自分を見つけていく.
自分もまた変化の一部となることを,僕は受け入れなければならない.
変化に適応し,流れとなること.
それは,当事者になるということを意味する.
諦観しているだけでは,変化を知ることはできても,変化になることはできない.
批判をしていると,一時的に気分がよくなる.
しかしそれは刹那的感情であり,退廃的な停滞である.
不満はエネルギーになるが,使わなければ脂肪になって未来の自分を蝕む.
そういう意味では,僕は肥満体型な人間なのだろう.
しかし困ったことに,肥満体型な人間であろうとも生きなければならない.
現代の価値観においては醜悪な外観をしており,活動量が低く,何をするにも拙速な人間であっても,生きたいと願う以上は生きる必要がある.
そうした自分を公開し,他人に知ってもらい,フィードバックを経て自分を知り,誰も知らなかった自分を見つけていく.
他者を知り,理解し,自分と同じように痛みを抱えていること,そして自分と同じように明日を望んでいること,それをわかり合い,認め合う.
対話とは,つまるところそういうものである.
動機が利己的であろうとなかろうと,生きるためには対話をしなければならない.
個人であろうと,企業であると,生き残り続けるものは,常に対話を続けているものである.
僕が真に就職を望むのであれば,僕は対話をしなければならないのだ.
そういう意味では,このイベントは就活イベントというより,キャリア講座の一つであるのだろう.
だからせいぜい,僕も便利に使わせてもらおうと思う.
イベントの中身の善し悪しはどうあれ,参加をすれば僕は変わる.
僕にできることは,せいぜいそれを楽しむことだけなのだ.
話は変わって
ThinkPad X13 Gen2の注文について,今日の昼にLenovoショップに問い合わせてみた.
理由はもちろん,クレカ決済で注文を確定させたいからだ.
結論から言うと,おそらくは現在のLenovoショップのクレカ決済は,多くのカード会社で不正利用として処理されている可能性が高いということがわかった.
まずLenovoショップに問い合わせたところ,僕のメールアドレスからの注文については,すでに認証しているとの回答があった.
すなわち,僕の注文自体はLenovoショップにとって問題がある注文ではないということになる.
そしてクレジットカードについても,利用限度額や一括払いの限度額にも問題はなかった.
利用期限も十分にあり,入力内容にも誤りはない.
すなわち,クレジットカード側にも問題はなかった.
そうなると,僕の注文は決済フローの中において何かが不正であることになる.
取引内容としては正しいのに,取引そのものが不正扱いされているということだ.
そうなるとクレジットカード会社に問い合わせが必要そうである.
なので早速楽天カードのチャットサポートに問い合わせることに.
結果,僕が過去に試みた注文はすべて,不正利用の可能性が高いものとして処理されていたことが判明した.
そして逆説的に,Lenovoショップからの決済が不正利用であるという処理がなされている可能性が高いこともわかった.
理由はわからないが,過去に決済した履歴のあるカードでも弾かれた辺り,Lenovoショップ側の認証とかの問題である可能性が高いだろう.
まぁこれは仮説にすぎないため,実際にどうなのかはわからない.
だが僕と同じ症状が出ている人がいるのだから,おそらくは当たらずとも遠からずなのだと思う.
真実はどうあれ,とりあえずセキュリティの問題の可能性が高いということがわかっただけでも上々だ.
今回はLenovoからの決済について例外的に承認するよう,カード会社に問い合わせた.
結果としては,短時間であれば限定を解除できると回答があったため,今日の夜に再度注文を試してみようと思う.
それでもクレカ決済ができないようなら,仕方がないので銀行振り込みにて注文することにする.
その時は再度Lenovoショップに問い合わせることになるが……まぁ今から気負いしてても仕方ない.
注文できたかどうかについては,明日また記事にしようと思う.