幸せの容量
今日は楽しい休日だった。
昨日の夜に兄がこちらにやってきてお泊り会をしたりもした。
そして夕方には両親もお邪魔してきて、一家大集合となった。
エルデンリングやってエルデンリング見てエルデンリングやってエルデンリング見て昼飯食ってエルデンリングやってエルデンリングみてエルデンリングやって夕飯食ってエルデンリングやってみたいな感じの1日だった。
夕飯はすき焼きだった。
いい肉を使ったが、腹が膨れすぎてもう動けない。
一口目の旨さをずっと味わえればいいのだが、残念ながら満腹中枢は食事の味を落とすし、胃に入る物理的な容積も限りがある。
幸せは、その全てを手にすることができない。
こぼれ落ちていく幸福を見て悲しい気持ちになるのは、やはり傲慢なことなのだろう。
こぼれ落ちるだけの幸福が、僕の手の中にはすでにあるのだ。
幸せであることに苦痛を感じるのなら、それは真実、傲慢なのだ。
ならば、僕はその幸福に感謝するべきなのだ。
そして落とした幸せの分だけ、誰かに幸福を分け与えるのだ。
傲慢であるのなら、僕はせめてそのエゴイズムに誇りを持ちたい。
そんなことを思った1日だった。
さて、エルデの王となるべくまた励むことにしよう。