イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

なんだかんだで健全なこと

今日も楽しい休日を過ごした。

昨日の忘年会でワイワイしたあとなんだかんだで3次会まで行ってしまい雀荘でオールした。

なかなかに充実した1日だったと思う。

 

今日も別の忘年会に行ってきた。

こっちは4人でひっそりと焼肉するタイプのやつである。

メンバーのほとんどが昨日も参加していたやつらである。

 

そんなわけで、級友と再開するよい機会となった。

みんな近況報告とか、自慢とか、オタク話とか、まぁ高専生らしいことを喋っていた。

 

僕はこんなブログを書いてるくらいなので、もう喋ることはあまりなかった。

お仕事とか日常とかのことが主であったが、まぁそういうのを吐き出す機会はすでにあるのである。

 

なので僕は、級友のお喋りを肴にして酒をあおっていた。

いやこれはキレイな言い方をしているだけで、本当はいじられキャラをいじってレスポンスを楽しみながら酒を飲んでいた。

我ながら邪悪な心を持っているものである。

 

参加メンバー曰く、「みんな変わってないようで安心した」とか、そういう声もあった。

確かに、みんな根っこの部分に持っているものは、失われたりしていないようであった。

 

僕から見たら、変わったヤツも多いかな、とは思ったのだけど。

やはり社会人になったので、みんなお金の話はするようになっていた。

 

まぁこれは僕も同じと言えば同じか。

自立するということは、経済的依存関係が薄れることを意味する。

だから金銭に関してセンシティブになるのも、至極当然と言える。

 

あと、みんなマナーとか他者意識とかが強まっているな、とも感じた。

平たく言えば、みんな大人になっているんだなぁって思った次第である。

 

当たり前だが、僕と同じ人生を歩む者はいない。

それと同様に、みんな違う人生を歩んできているわけでもある。

だから、みんながみんな同じように大人になれるわけではない。

 

僕の場合は、孤独がそれを後押しした。

昨日と今日を、そして今日と明日を隔てることで、僕は大人になろうとした。

 

きっと、みんなも何かを経験して、大人になったのだろう。

それは僕の知るべきことではないが、尊重するべきことでもあると思う。

そういう意味で、みんな変わっているんだなぁと感じたのである。

 

その形は人によって異なる。

優しさというものを、僕はようやくに手にしたのかもしれない。

まだ未熟ではあるけれど。

 

そういえば、参加者の何人かはこのブログをたまに目にしてるようでもあったらしい。

精神安定剤として書いているブログであるが、暇つぶしにでもなっているのならそれはそれで意義があるのかもしれない。

 

少なくとも、彼らに恥じることのないよう、今後の人生を歩んで行こう。

それが楽しませてもらった者の、せめてもの誠意だ。

 

そして僕もまた誰かを楽しませられる存在になれよと、願うのである。

 

そんなことを思った休日であった。

早めの忘年会も終わり、いよいよ年末が近づいてきた。

良い1年であったと胸を張れるよう、楽しんで努める所存である。