イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

依然

今日も楽しくお仕事してきた。

楽しくお仕事してきたので、1日がすぎるのもあっという間である。

 

あちこちからお仕事が飛んでくるので、それを脳内でまとめて、優先順位をつけていくだけでも大変だ。

チュートリアルが終わったらいきなり自由度が上がるタイプのゲームをしてる感覚である。

 

その例えで行くと、チャプター1のメインクエストがまだ終わってないにもかかわらず、サブクエストが4,5個と提示されている状況だ。

どこから消化してくべきか、どれが難易度とリワードの釣り合いが取れているか、きちんと整理せねばならない。

 

いや業務単位でリワードが定められているわけではないのだが。

単純に、俺はやったぞ!って言って自信をつけられるやつから完了させたほうが、結果として色々なものが上手く回るのかなぁなんて思っている次第なのだ。

ようは達成感と自信が、リワードなのだ。

 

お仕事をしていると、コミュニケーションが頻発する。

どうやら僕はコミュ障と呼ばれる側の人間なので、どうにもここがボトルネックになることがある。

 

自分という人間は、どうやら突発的なことに弱いらしい。

偶然そうなるということに、脆い。

 

予想して、準備して、やると決めたことに対してはそこそこに腹をくくってやることができる。

だが、突然降ってくる要求や疑問、質問に対しては、テンパった対応しかできない。

 

就活が遅れたのも、こういうところが原因だ。

そしてその質は、未だ改善されてはいない。

 

結局僕という人間は、今できないということが、たまらなく嫌なのだ。

今解決できないことが、どうしようもなく嫌なのだ。

 

だから予想される今にできるよう、対策を凝らすことはする。

だが今できなくなってしまったという事実には、どうしようもなく揺さぶられてしまう。

 

コミュニケーションも、その手の質がある。

合意形成が取れてなかったことを後に気がついたとき、僕は僕を忘れて課題解決マシーンになってしまう。

 

予定調和でないと困るなら、根回しをしない方が悪いのだ。

完璧に動いてくれないと嫌なら、そのための努力を惜しんではいけない。

 

が、実際には完璧な物事など存在しない。

不確実性を多分に孕んだ未来と向き合わねば、不確かな明日に挑むことなどできないのだ。

 

ようはもう少しキャパシティを大きくして、腰をおちつけ、相手を観察できるようになりたいのである。

同じ会議の場にいて、自分が理解したことと、他者が理解したこととは違う。

役割も能力も、話すことも聞くことも違うのだから、その違いが存在するということから、僕は理解しなければならない。

 

最近勉強してたAWS的に言うと、柔軟性と弾力性に富んだアーキテクチャで、生きねばならないのだ。

自分の使うべきリソースを整理し、押し付けず、必要に応じて他者を巻き込まねばならない。

 

社会に出てからというもの、確かに一人ではできないことが増えた。

それはきっと、喜ぶべきものだ。

そして、楽しむべきものなのだ。

 

僕と言う人間は、向き合うことでしか楽しむ方法を知らない。

きっと、それでいいのだろう。

ゲームから学んだことのひとつである。

 

そんなこと思った1日だった。

 

明日はもう少し上手にお仕事できるようになりたい。

いや、なるのである。

 

結局できないということが嫌なので、嫌なことは遠ざけるべきだ。

そして、そのためにそれと向き合うのである。