イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

長男じゃないから様々なつらみや痛みに耐えることができない

朝はつらい

昨日の僕は良く眠れた.

僕は希望をもって今日の朝を迎えることができた.

それは大変喜ばしいことだ.

 

だがそれでも朝はつらい.

目覚まし時計なしで気持ちよく8時間睡眠をかましてもなお,やはり寝起きで布団から出るというのは困難を極める.

 

僕はだらしない人間で,外的動機づけがないと何かをすることができないタイプの人間だ.

なのでいつも親に,朝起きて来なかったら起こしてくれと頼み込んでいる.

意識が覚醒していてもベッドに釘付けになっている自分を,外に引っ張り出してほしいと.

そう伝えて,自分にいずれは外から起こされるという危機感を与えなければ,僕は自分の意思で自室の外に出ることすらままならない人間なのだ.

 

僕は24歳にもなって,未だに親の庇護を受けて生きようとしている.

僕は,それがとても情けなく思う.

 

世間では子供部屋おじさんなる言葉があるらしい.

僕も子供部屋おじさんだ.

都内にワンルーム構えるよりも快適だし家賃もかからないから,一生親に甘えている.

 

それはダメなことではないのだと思う.

だけど,それで不幸になる人間――と言っても他人ではなく親族レベルだが――がいるのなら,僕はそれに危機感を抱くべきなのだとも思う.

 

僕の家庭は,愛もあるし友情もあるし,精神的な繋がりで言えば相当に恵まれた家であると思う.

50を超えた両親は今でもラブラブだし,僕も兄弟同士非常に仲が良い.

20超えたおっさん3人兄弟が一緒に風呂に浸かるなんて,そんな家庭はきっとこの日本には多くないのだと思う.

 

僕はその心地よさに甘え続けている.

今こうして朝にのうのうとブログ書いているのだって,家という庇護のもとで引かれた回線に,家という庇護のもとで与えられた電気を使ってPCを駆動させているからできることだ.

 

僕は恵まれた人間である.

僕は子供が家庭で得たいと思うであろう多くの幸せを,与えてもらって生きている.

 

そんな偉大な両親に対して,僕ができることって何なのだろう.

時に友として,時に師として前に立ってくれていた兄に対して,僕ができることは何かあるのか.

 

この1年間,家庭内での僕は家事だけをこなして生きてきた.

それは彼らの助けにはなったのだと思う.

でも,それで彼らを幸せにすることはできていたのだろうか.

 

きっと,僕はその答えを見つけられないままにこの先を生きていくのだろう.

だからせめて,幸せにしたいという願いだけは胸に抱えて生きようと思う.

 

よし,今日のポエム的な怪文書はこれくらいにして何か現実に則したことも書いていこう.

 

ツナマヨは美味い

今日の朝も無事に起きることができた.

前述の通り,これも両親が気を使ってくれているおかげだ.

 

さて,今日も僕はセブンイレブンに行ってきた.

それはもちろん,朝飯を買うためだ.

 

今日は昨日のフィードバックを踏まえ,ツナマヨおにぎり1個にした.

ナナチキが僕のことを見つめていたが,学びを活かすために心を鬼にしてスルーした.

 

食べた結果としては,やはりツナマヨおにぎり1個だけ買うのが正解だったのだと思う.

様々な要因で縮んだ僕の胃袋には,これくらいのサイズ感が丁度いいのだ.

 

ツナマヨおにぎりを食ったことで血中糖度が上昇し,脳が働いてきたように思う.

おひさまの光を浴びて各種神経伝達物質たちが元気になっているのも大きいだろう.

 

なんだか今日の僕は,いろんなことができるような気がする.

今日の僕はきっといろんなことができるから,今日はいろんなことをしようと思う.

 

昨日の僕は今日の僕にHP作るための技術調査と勉強をしろと叫んでいたようだから,それをやろう.

今の僕なら,きっと楽しめるに違いない.

 

よし!頑張るぞ!頑張れ俺!今日もイケてる!!最高にイケてるぞ!!!お前ならできる!!!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお