何もつらいことは起きてなくてもつらいという気持ちはすぐに襲ってくる
つらい
僕は気合い入れてクリエイティブに浸ってやろうと意気込み,ぼっちソンを開催した.
それはとても良かった.
しかしぼっちソンが終わり,就活という現実に向き合う時間が来ると,再びつらさが襲ってくる.
今日は1つの企業との二次面接のアポを取り,1つの企業の新卒採用にエントリーし,1つの企業のアルバイトの採用に応募書類を提出した.
作業量は大したことないはずなのだが,今朝の9:30から作業を初めて,終わったのは夕方の16:00だった.
僕はただエントリーするために必要な志望動機と履歴書を書いているだけなのに.
履歴書はもうできていて,会社ごとの最適化しかする必要なんてないのに.
積み上げたいキャリアの方向性は決まっていて,応募する職種は明確なはずなのに.
どうやら僕はエントリーを考えている時点で,その企業に入った気になってしまうという困った悪癖があるようなのだ.
面談をしても居ないのに,採用担当者や従業員の顔も知らないのに.
リクルートページに書かれた募集要項と事業内容と企業情報だけを眺めて,あたかも内定をもらっているかのように考え始める.
志望動機を書いていると,本当にやっていけるのか,本当に馴染めるのだろうか,本当はブラック企業なのではないか,みんないい人なのに僕だけが役たたずになるのではないか.
来年4月に入社する1年後の自分は,今のニートの自分とは違った自分になっているはずなのに.
なのに今の無能な僕がそこに居てやっていけるのだろうかなんて,愚かな思考を始めようとする.
それを打ち明け,歩み寄り,分かり合うのが就活というものであり,そのための手段としてエントリーが,そして面談があるはずなのに.
わかっている,わかっているのに,僕はどうしようもない不安に駆られ,エントリーの確定ボタンの押下をためらってしまう.
無数の不安が僕の頭をよぎっては,無駄な思考を誘引して無限のストレスを生み出そうとしてくる.
そしてその不安を解消するために,新就活系ブログという人材派遣会社のステマしかしない闇の情報網に手を伸ばさせようとする.
そこには僕の望む平穏などないのに,不安に駆られた脳はより深い不安に向かって走り込もうとする.
僕は,そんな僕が嫌いだ.
そんな危険なブログなんて見る輩が居るから,そういうビジネスが成り立っているんだ.
そして僕もまたそのアフィリエイト収入の一部にされている,愚か者の一人だ.
僕は,そうした不安を拭い去る方法を知っているはずだ.
僕は昨日,そうした不安を拭い去って心地の良い睡眠を掴み取ったはずだ.
僕が不安を遠ざけるためには,ものをつくらなければならない.
不安を感じずに生きるためには,ものをつくり続けなければならない.
それが僕という不器用な人間の生き方であり,呪いであり,福音なのだ.
僕は今,ものづくりをしていない.
だから余計な不安に駆られて愚かな思考,愚かな行動に走りたがる.
不安を拭い去るためには,ものをつくらなければならない.
さて,原因がわかったのなら,ものをつくる計画を立てる必要があるだろう.
今日はそれをしよう.
明日にはものづくりという希望があるのなら,今日の夜もきっと良く眠ることができるはずなのだから.
それがクソゲーでも誰か一人が笑えるならそれでいい
僕はFlashゲームが好きだった.
もう名前も思い出せないようなゲームポータルサイトで,よくわからない無料のゲームをプレイするのが大好きだった.
脱出ゲームだとか,ビル超えゲームだとか,珍妙なパズルゲームだとか,モノクロの戦艦で艦砲射撃するゲームだとか.
へんてこなものだと,物理エンジンが組み込まれている上に地面が丸くて一生消せないテトリスだとか.
名前は忘れてしまったけど――名前を読む前にゲームにのめり込んでしまったのだから名前をそもそも知る由もないのだけど――僕の記憶に残っている,僕だけの名作.
Flashが終焉する以前の時代において,それらのゲームは確かにこの世に存在していた.
今でも名前を覚えているサイトやクリエイターの数は,そう多くない.
すずぬーとさんだとか,たんしおレモンのくろすけさんだとか,モゲラだとか.
名前を意識しだしてから遊んでいたサイトくらいしか,思い出すことができない.
それでもここで上げた例の倍以上のゲームを,僕はかつてインターネット上で遊んでいた.
小学校や中学校のパソコンからでもアクセスできるサイトを探し,それをしゃぶり尽くしていた.
名前を知らなくたって遊べる,インターネットに繋がる機械さえあれば誰だって平等に楽しむことができる.
僕はそんな,インターネットの海に生息していたゲームたちが大好きだった.
インターネットを海に例えた奴は,天才だと思う.
今のインターネットは海洋汚染が進み,歪んだ収益構造から漏れ出た誇大広告が各地を汚染している.
昔のインターネットが綺麗だったなんて懐古主義者の言葉を使うつもりはないが,少なくともサーフィンができる程度には,かつての海は美しかったのだと思う.
こんな懐古主義をこじらせて不満を垂れ流していても,海はきれいにならないどころかこのブログからも汚染物質が流れ出ることになってしまうので,ここあたりでやめようと思う.
さて,こんな話をしたのは,僕がかつての海を取り戻したいと願う者の一人だからだ.
Falshゲームは登録必須のブラウザゲームに置換され,それがソーシャルゲームに食い荒らされ,その数を大きく減らした.
そしてFlashの終焉とともに,その存在は記録から記憶に移り変わろうとしている.
だが,その終焉はHTML5という新たな福音ももたらした.
ブラウザゲームはまだ,死に絶えてなどいないのだ.
同級生は誰もそんなゲームをしていなかったけど,僕はそれが大好きだった.
みんなが野球やサッカーやバラエティやドラマやアニメや映画を観て楽しんでいた時間で,僕はFlashゲームをやり続けていた.
僕はかつて,Flashゲームが大好きだった.
たとえ記録になくとも,僕の記憶にはその面影がまだ残っている.
みんなが忘れても――そもそも知ることすらなくても――僕はまだ覚えている.
なら,僕にも作れるはずだ.
その感動を知る者なら,それを生み出すことだってできるはずだ.
100人がクソゲーと蔑んでも,1人がクソゲーと笑ってくれるのならばそれで良い.
そういったゲームを作れる人間に,僕もなりたい.
ならば作らねばならない.
それが僕の,ニートの僕の,次のものづくりのフィールドだ.
で,どうすんだよ
クソゲーをブラウザゲームとして公開するためには,まずはホームページを作らねばならない.
そのためにはWEB開発の技術が必要だ.
それは1年前の今日に,僕が逃げたハードルだ.
僕がかつて逃げたRuby on Railsの学習という課題に,今こそ立ち向かわなければならないのだ.
もちろん,今回Rubyを使うとは限らない.
なにせHPを作るためにどういった技術が必要なのか,僕はまだ正確に捉えられているわけではないからだ.
僕の浅はかな知識では,HTML5とCSSでいい感じに画面作って,js使っていい感じにクライアントを動かして,後はCGIとSQLでなんかいい感じにサーバーに機能作って,そうするとHPができる.
そんな認識しかない人間が,すぐにHPを作るなんて不可能だ.
デザインはともかく,機能としてゲームを設置できるHPをつくるというだけでも,おそらく1ヶ月の見積もりですら甘いのだと思う.
ネイティブはともかく,サーバーサイドなど,これまでに真面目に触れてきた経験は殆どない.
だがキャリアプランにモバイル/WEBアプリケーションエンジニアまたはゲームプログラマーなどと書いたからには,WEBアプリケーションを作れるようになる必要がある.
社会に出て,会社にそれを教わるのも悪くはないのかもしれない.
だが僕は今すぐにでもそれができるようになりたい.
そんなことは物理的に無理なのはわかりきっているが,それでもそれを望める自分でありたい.
だからやる.やらなきゃ死ぬ.
何もやらなきゃ,僕という人間は緩やかなる死を迎える.
ここで逃げたら,僕という人間は一生逃げ続ける.
それは嫌だ.
これは僕が言い出したものづくりのコンセプトだ.
これは僕が定義した僕の生き方であり,呪いであり,福音なのだ.
明日からはHPを作るための勉強を開始しようと思う.
おそらくはレンタルサーバーを借りる必要もあるし,ドメインだって取得する必要も出てくる.
フリーウェアで作れていた今までの個人開発とは,わけが違う.
金もかかるし,手間暇負荷等全部が段違いになるはずだ.
だからといって,それを理由に逃げるわけにはいかない.
僕がかつて泳いだ海を,今度は自分の手で作り出すのだ.
そうと決まれば明日の方針を固めなければならない.
明日,まずは必要な技術の調査から始めようと思う.
特にjsのライブラリとCGIに使う言語は,慎重に選ぶに越したことはないだろう.
WEB開発はVSCodeとChromeで大体できるって強いエンジニアの人たちが言ってるんだから,きっとそうなのだ.
何を使うか,どうやって作るかという調査と計画は,綿密に行わなければならない.
だからといって調べてるだけではわからない,コードを書かないと知ることのできないノウハウも存在するはずだ.
何もイケてるサービスを作るわけじゃない.
イケてない時代のインターネットを作りたいだけなのだ.
なら,イケてない実装だとしても構わない.
まずはHPをデプロイすることを目標にしよう.
そこから少しずつ,最高にイカしたイケてないインターネットを実現するのだ.
明日はまず,フロントエンドの仕組みとフレームワークについて調査しよう.
可能なら,簡単なページだけでも作ってみよう.
きっとできる.
できなくても,やれば何かが変わる.
その過程を楽しもうと思う.
そうと決まれば明日に希望を抱いて,今日はぐっすりと眠らなければならない.
大丈夫,僕は明日が待ち遠しい.
就活の不安ですり減らした心なんて,ものづくりの希望できっと吹き飛ばせる.
明日はもっと良い一日になる.
僕がそうする.もしそうでなくても,僕がそう感じられるように努力する.
大丈夫,僕ならきっと明日を迎えられる.
ベッドにつきたくないって不安でキーボードを叩く手が震える
そんなのは就活のストレスが見せるまやかしだ.
そんな幻想の恐怖に震えるな.できる.お前ならそれを乗り越えられる.
大丈夫,お前なら平気だ.
ぼっちソンだってやったじゃないか.
この前面談してくれた人だってめっちゃいい人だった.
希望は沢山目の前に溢れていて,そのいくつかは掴みかけているじゃないか.
僕のことを応援してくれる友人には感謝している.
彼らの気高さを思えば,僕の不安や恐怖なんて屁でもないはずだ.
彼らへの感謝を誇りに変えろ.気高く,誠実に,不器用であれ!
不安という概念は,明日から逃げたがる僕が見せる幻想に過ぎない.
お前が俺を支配しようとするなら,何度でも希望を言い聞かせて,何度でも前を向いてみせる.
こうやって気持ちを吐き出せるのであれば,何度でも嘆いて喚いてさらけ出して,何度でも立ち上がってみせる.
腱鞘炎になるまでお前の出番なんてないのだ.
よし.不安を思う気持ちはだいぶ弱まった.
僕はまだ,明日に希望を持てている.
きっと明日の僕は,その明日にもっと希望を抱いている.
だからきっと,大丈夫に違いないはずだ.
今日は寝よう.
明日には希望が溢れてる.
今日も良く頑張ったのだから,今日の夜もきっと,良く眠れるはずだ.