イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

義務とは他人ごと、権利とは自分ごと

今日も楽しくお仕事してきた。

変わらずOSSの闇と格闘してきた。

 

結果は惨敗である。

もはや構築の段階で間違いがありそうなので、そもそも論のレベルからやり直しが必要そうである。

 

まぁ僕が環境構築したわけじゃないし、そこあたりの責任は僕にはない。

ただただ現状動かないシステムがあって、そのメンテナが僕だというだけである。

 

これが検証段階の問題で良かったと思う。

OSSの実装も、不具合の内容も、こんなのを本番環境で触ることになっていたらと思うと震えが止まらない。

 

メモリ不足に起因しているのかとも思ったが、スワップ領域を足しても問題は解決しなかった。

OOM killerが走らないだけであって、問題の直接解決には至らない状態である。

 

システム内部で叩いているリクエストで何かおかしい挙動をしているという線が濃厚になった。

そしてそれはメインロジックの部分ではなく、リクエストを送ってるライブラリで問題が起きてそうということもわかった。

 

とりあえず内部のライブラリの挙動が怪しいことがわかったので、明日はそのへんを中心に見ていくことにしよう。

それでもだめなら、今動いてるのを潰して新しく環境構築をし直そうと思う。

 

あとわかったのは、2022.01.26現在、t2.microを使うのは本当によくないということである。

メモリが少ない上にt3.microの方がCPUが増えて値段が安いので、使う理由はないと言っても過言ではない。

 

いやもしかしたらt2の方が何か優れてる点があるのかもしれない。

無料枠とか。

まぁ期限切れなので関係ないけど。

 

メモリ不足を疑って時間を浪費するのは本当に無駄なので、最初からせめてt3.smallくらいはほしいものである。

結構安いし悪くない性能である。

 

まぁ不満を言ってもサーバーが立ち上がるわけではない。

明日のミーティングで話す内容を決めて、やることと手順を用意して交渉するのが、せめてもの抵抗である。

 

僕の不勉強が問題解決を遠ざけているという実感はある。

OSSの環境構築ごときで躓く自分が情けないし、悔しい。

 

悔しくてたまらないので、本気で勝たせてもらおうと思う。

いやお仕事はちゃんと本気でやっているのだが、きちんと脅威とみなして取り組もうということである。

 

記事のタイトルをものものしくしたのは、単純に朝出勤してるときにそんなことを思いついたからである。

義務とは他責から生まれるもので、権利とは自分の裁量を決めるものであるなぁってなんとなしに思ったのである。

 

所詮義務など他責であり、いくら義務という言葉で責務を課そうとも、肩書にまとわりつくだけの虚像なのだ。

そもそも義務という言葉で人を拘束する輩こそ、その言葉の意味を知るべきなのだ。

 

自責的に義務を感じるなら、それは使命だ。

そうでないなら、全ての義務など所詮は他人ごとなのだ。

 

逆に権利とは他者が保証するものと思われがちだが、実のところそれを守るのは他でもない自分である。

権利を他責にしたとき、権利の行使は義務に変わる。

 

権理と名付けた者は、さぞ賢い人間だったのだろうし、権利と名付けたものは、さぞ醜い人間だったのだと思う。

理という文字こそ、権の右手にふさわしい。

 

理とは絶対的なものではない。

科学は真実に近づくために、真実との距離を無限大に定義した学問だ。

 

故に理を定義するのはそれを使う者本人であるし、その絶対性は自身の信念によってのみ保証される。

権理により保証される自由とは、自己定義されるものでなければならない。

 

自由とはかくも麗しく、かくも貴いものであるが、ガラスのように儚いし、割れたときに鋭く傷をつけるものである。

なにせ自分の中にあるものなのだから、本当に素晴らしく、本当に扱いに困る代物だ。

 

だからせめて、僕は僕の権利を僕のために使おうと思うのだ。

自分ごととして扱うすべてのモノのために、僕はその権利を行使したいと願うのだ。

 

と、なんというか意味のわからないポエムを綴ってしまった。

まぁ他の誰もが解せなくても、僕がそれを知っていればそれでよい。

 

権利とはそういうものである。

そしてそのエゴイスティックに傾倒した分だけ、誰かのエゴイズムを許容できる大人であろうと思う。