イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

LIFE SHIFTという本を読んだ

LIFE SHIFTという本

ここ1ヶ月くらい,ちまちまとLIFE SHIFTという本を読んでいた.

グラットンとかいうダークパワーが宿ってそうで強い著者が書いた本である.

やっぱグラットン持ってないとダメかー持ってる人あこがれちゃうなー

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LIFE SHIFT

ざっくりまとめると,僕たち2000年前後に生まれたやつらは100年くらい生きるから,それに合わせた生き方を考えようねという内容だ.

なんか17版くらい刷られてて,35万部くらい売れてるらしい.

まぁ読み切るのにはそこそこ時間がかかったので,言うほど読み切ってるやつも多くはないのだろうが.

 

さて,読み進めていくと,この本の正体がなんとなしにつかめてくる.

とりあえず僕なりに掴んだ要点をまとめてトピックにしてみよう.

  • 僕らくらいの年代の半数は,100歳以上生きる可能性が高い
  • 資金的にも幸福的にも,これまでと同じモデルでは困ったことになる
  • 既存の人生モデルと新しい人生モデル
  • 現行の社会保障制度や企業体制は確実に破綻するが,変革はゆるやかに行われる
  • お金を主とした有形資産だけでなく,無形の資産も重要になる
  • 変革に際した軋轢と痛み

 

僕らくらいの年代の半数は,100歳以上生きる可能性が高い

人類の寿命は,右肩上がりに伸びてきている.

統計的に見ると,19世紀半ばに40歳くらいだった平均寿命は,いまでは85歳くらいにまで増大しているらしい.

ベストプラクティスの統計なので日本のデータが主となっているが,世界規模で見ても人間の寿命はここ100年程度で急速に伸びてきている.

 

医療の進歩や栄養改善が主な要因で,人は死ににくくなってきている.

昔は戦争で人が死んだし,戦争がなくても流行り病で人は死んだ.

 

今でこそ風邪は風邪で死に至ることは少なくなったが,多くの人間はかつて風邪で死んでいた.

栄養失調が原因で季節性のウィルスに感染し,気管が荒れて常在菌が肺に降り,肺炎になって死ぬのだ.

風邪薬などもなければ,ましてや抗生物質などもないので,肺炎が死を呼び寄せていたのである.

おまけに肉も食わなければ野菜も食わないので,タンパク質もビタミンも足りていない.

風邪によって壊れていく身体を治す術を,かつての人間は持っていなかった.

 

抗生物質が誕生して人が風邪による死を克服すると,次はがんが人を殺すようになった.

長生きをしようとすると,自滅因子が人を死に至らしめようとするのである.

遺伝子情報とかいろいろなものが原因でがん細胞は発生するが,これもまた医療の進歩によって改善がなされてきた.

検査器具の発展による早期発見と,医療技術の先進化による治療法の確立で,がんはある程度まで「治る」病気となった.

 

そんなこんなで,人の寿命は80歳を超えるまでに伸びた.

かつては20代で死ぬのが当たり前だった人間という生物は,100年を生きることができる生命体になろうとしている.

 

そして,おそらくはなるだろうという推測もなされている.

ちょうど西暦2000年前後に生まれた子供たちの約半数は,100歳の年月を生きるらしい.

 

今の時代で長生きした人間を殺すのは,認知症や糖尿病といった,老化のプロセスによる慢性疾患だ.

残念ながら特効薬も治療法も確立されていないので,なったら最後,死ぬまで認知症だし,死ぬまで糖尿病だ.

予防方法はある程度提案されていて,生活習慣の見直しが一番の特効薬となる.

 

健康的な生活習慣の実践は,できてない人が多いし,なんなら僕もできていない.

不健全な習慣がもたらす不利益を体系的に知っていても,僕は改善のための行動ができてない.

 

それでも,政府や医療機関が行う対策やキャンペーン,啓蒙活動で,きっと僕たちの世代は健康的な生活習慣を手に入れることになる.

そうして僕たちの寿命は,さらに伸びていくことになるのだ.

 

という理屈で,この本では僕たちの世代の人間が,100歳以上生きる可能性が高いと言っている.

高齢者医療とか福祉とかをカジッていた僕としては,まぁ妥当な推測だなと思う.

 

今20代の人間は,100歳まで生きることを覚悟する必要があるのだ.

もしかしたら,22世紀をこの目で見ることになるかもしれないわけだし.

 

資金的にも幸福的にも,これまでと同じモデルでは困ったことになる

100年もの時間を生きることになると,どうやら僕たちは困ったことになるらしい.

 

今までの人間は,良くて80歳,極めて稀に90歳まで生きられるのが限界だった.

平均的には人は75歳で死んでしまう.

なので定年は65歳で,10年間の余生を,引退者として過ごすモデルが一般的だった.

 

僕らの祖父祖母の世代なら,教育,仕事,引退の3つのステージで人生をモデル化することが可能だ.

成人までは勉学に励み,20代から定年までを同じ会社で過ごし,65歳の定年を迎えた後に10年ほどの余生を引退者として過ごす.

年金もあるし,蓄えが少なくても10年くらいなら十分に幸せな老後生活を送ることができる.

 

ところが親の世代になると,少々事情が変わってくる.

平均寿命が85歳ほどまでに伸び,65歳で定年を迎えたとしても,20年の余生を無収入で過ごさなければならなくなる.

一部社会保障制度の破綻により,収入も減るだろう.

なので貯金を増やすか,さもなくば70歳,75歳まで働かなければならなくなるのだ.

もしくは,ひもじい老後生活を送っても良い.

いずれにせよ,祖父祖母世代よりかは,いくつかの不条理を受け入れる必要がある.

 

そして僕らの世代にもなってくると,さらに事情が複雑化する.

平均寿命が100歳になると,65歳定年は愚か,75歳定年でも25年の余生を過ごさなければならない.

しかも既存の年金制度などが破綻することは約束されているので,これらの収入も期待できない.

仕事のフェーズを抜けて引退のフェーズに差し掛かっても,金銭的な余裕は一切ないのだ.

なので頑張って貯蓄するか,老後生活を遅らせて働き続けるしかない.

ちなみに貯蓄する場合,年の収入の40%近くを貯蓄しないと,引退時の収入の半分程度の生活は送れないらしい.

 

そんなこんなで,祖父祖母世代の人生モデルは,両親世代になると若干の破綻を見せて,僕らの世代になると通用しないモデルになるらしい.

まぁこれくらいは知ってたけど,改めて根拠建てて言われるとショックを受ける.

僕らは終身雇用+年金の従来のシステムでは,明るい老後生活を送ることはできないのである.

 

悲しいかな,長生きすることによっても,幸福がもたらされるばかりか,むしろ惨めな生活の時間だけが生み出されることになりかねないらしい.

20年寿命が伸びた結果,20年分の不幸を感じるだけになるなんて,なかなかに不条理である.

 

なので新しい人生のモデルを計画し,実践することが必要になる.

いくつか乗り越えるべき課題や問題も残されてはいる.

それは政治的な問題でもあるし,社会通念的な問題でもあるし,不確定性の問題でもある.

 

しかして問題のコアは,次の2つである.

  1. 金銭的な問題

    年金システムの破綻と引退期間の増大で,老後資金が枯渇する.
    資産がないと長寿化の恩恵を最大限受け取ることができない.
    貯蓄を増やすか,支出を減らすか,働き続けないと,老後資金が底をつきてしまう.

  2. 時間的な問題

    定年から寿命を迎えるまでの時間が伸びる.
    資産があれば幸せな時間を長く享受できるが,なければ惨めな生活を送る時間だけが長くなっていく.
    引退時期を後ろに引き伸ばすか,早く死ねば老後生活の時間も短くなる.

 

なので新しいロールモデルを構築し,自分の人生にしていく作業が必要となるのである.

既存のモデルを愚直に実践して破綻するリスクは,少なくとも確かに存在するからだ.

 

既存の人生モデルと新しい人生モデル

3.0ステージ

本によると,祖父祖母の人生モデルは3.0ステージモデルと呼ばれるらしい.

幼少期から成人までの間に「教育」のフェーズを経て,20代から65歳の定年まで「仕事」をし,その後は「引退」者として余生を過ごすモデルである.

 

このモデルは,終身雇用と年金制度という社会システムによって成り立っている.

年功序列的に増える賃金をベースに生活を豊かにし,夫婦で役割を分担して仕事を続け,能力の衰えてくる年になったら引退する.

貯蓄が少なくても,年金があるので引退後の10年程度の人生には困らない.

そうしたモデルである.

 

これはちょっと前に述べられたように,祖父祖母の代と,両親の代の一部だけが享受できるモデルらしい.

なので僕たちは別のモデルを考える必要がある.

 

4.0ステージ

3つのステージでは,老後資金を年金と若干の貯蓄で確保していた.

しかし年金などの社会福祉制度がゆるやかに破綻し,さらに老後生活の時間が長くなると,それだけでは長寿化した時代を生き抜くことはできない.

 

鬼のように切り詰めて貯蓄をしない限り,老後資金は不足する.

両親の代なら,貯蓄するのはそこそこ現実的である.

しかし僕らの代になると,それは実現の難しすぎるプランとなる.

 

そうなると対策は3つで,老後生活の支出を減らすか,引退期間を後ろにずらして働くか,早く死ぬかである.

最後のは論外として,現実的な解法としては,倹約生活に慣れるか,「仕事」のフェーズを広く取るかになる.

 

終身雇用は老化による能力が減退した人材,つまり活かせるスキルがなくなった人間を「定年」として切り捨てるシステムである.

そしてそのシステムは今いる人材ができることで稼ぐモデルであるから,個人が転職する際のスキルなどは一切考慮していない.

つまるところ,65歳ないし70歳で定年になって年金で幸せになってくれるなら,別に新しいことをする必要などないのである.

(なんなら社員が成長して発言権を持たれると,逆に困る経営者もいるだろう.)

 

しかしそれでは老後資金が足りず,長い老後生活を生きるのは難しい.

そこで4.0ステージモデルでは,「仕事」のフェーズを切り分け,人生の途中でスキルセットを更新し,新たな「仕事」を得るプランが軸となる.

 

40~50代のタイミングで自分の資産を見直し,何が足りていて,何が足りていないのかを考える.

自分のスキルを更新し,何ができて,何ができなくなったのかを理解する.

そしてシニア世代の経験が生きる職を見つけ,そこで一般的な定年とされる年齢よりも長く働く.

それは転職でも良いし,起業でも良いし,ポートフォリオ・ワーカーでも良い.

 

賃金は下がるが,それでも引退が遠ざかるから,無収入で生きる時間が減るし,何より活躍しているという充実感が得られる.

50代での転職ともなれば,一時的に収入は落ちるが,多少なりとも倹約生活に慣れれば,老後に資金が不足しそうになっても生活レベルを急激に落とす必要性もなくなる.

引退後10年~15年程度の余生であれば,十分幸せに生きられるのが,4.0ステージのモデルである.

 

本だと,緩やかな変化に合わせて生きる3.5ステージのモデルも,合わせて紹介されていた.

どちらにせよ,「変化に適応して充実感を得ること」「勤労期間を伸ばすこと」「貯蓄を増やすこと」「無収入期間を減らすこと」が,親の世代や僕らの世代にとって重要なのだ.

 

5.0ステージ

僕らの世代になると,さらに1つステージを増やした5.0ステージのモデルも考えられるようになる.

「教育」と「仕事」の間に,「探求」のフェーズが追加されるのだ.

 

従来の新卒一括採用の市場では,教育が終わると仕事のステージに移行がなされる.

就職後は新人研修などで教育のフェーズが続くが,従業員としてのスキルが一定水準を満たすと,そこからは仕事のフェーズとなる.

 

終身雇用を前提とした3.0ステージや,50代前後で転職する4.0ステージならこれでも問題なかったが,これからの時代では1社に依存して生きることは,相応のリスクを伴う.

その結果「若者」と呼ばれる者たちは,いわゆる「つぶし」の効くスキルを求めるようになる.

企業内というローカルな場ではなく,市場というグローバルな場で価値を生み出せる能力が,無形の資産として偏重されるようになるのである.

 

そうなると,社内研修などで「一人前」になるシステムは,敷かれたレールの上で「仕事」のフェーズに移れる反面,その先の流れまでをも企業側に握られてしまうというリスクを伴う.

結果として,そのリスクを嫌う「若者」は,就職先を選ぶ行為を先送りにしようとする.

それは社会人になることから逃げているのではなく,選択肢を多く持とうとする行為である.

……と,本には書いてあった.

 

要は様々な活動を通じて自分を知り,高め,変動の時代に対して強い人間になるのが,追加されたステージの内容だ.

それは探究的行為であり,本ではそれを探求者(エクスプローラー)と呼んでいた.

宵越しの銭は持たず(勿論,持っても良い),不安定な雇用形態や生活の中で生きるフェーズである.

 

そうしたステージを経て,激動の時代を生き抜くために必要な無形の資産を養うのが,5.0ステージの人生モデルである.

その後は自分が養った資産を用い,機会を得て人生を豊かにしていく.

ステージの数は5つだけにとどまらない場合もあるだろう.

 

そんな感じで,変化の中で変化とともに生きるというのが,5.0ステージモデルの概要である.

それはリスクの中で生きることを意味しており,その覚悟と行動力を手に入れるために,探求のステージを経るのである.

 

現行の社会保障制度や企業体制は確実に破綻するが,変革はゆるやかに行われる

 

長寿化に伴い,社会の仕組みもまた変革せざるを得なくなる.

終身雇用と年金制度が破綻することは誰の目に見ても明らかである.

そしてそれを支えている新卒一括採用の市場もまた,売り手側である学生の意識の変化や,職の高等化により,変革が促される.

 

しかし,それらの変革は急速に行われることはないらしい.

今はまだ,変革を望む者よりも,既存の仕組みで幸福を得られる人間の方が多いからだ.

 

まぁ確かに,変なキャリアを歩んでる学生より,素直に新卒で入ってきてくれる学生の方が,企業としてはありがたい.

そしてその学生のプールが存在するなら,そこから取ってくればいいだけのことである.

わざわざ個別に探求者を探し当てて採用する必要性など,どこにもないのである.

 

そうした事情が,採用市場だけでなく,社会保障制度にも適用される.

つまりはまだ年金制度で困ってない人間のほうがマジョリティだから,年金制度は残り続けているのである.

 

変化に強い人間を拒む仕組みは,他にも様々な形で存在している.

その理由のひとつに,変化を受け入れる仕組みを作るのは,概してコストがかかるからというものがある.

未知の人生モデルを探求するというと聞こえは良いが,前例のない人間となるということは,自分を評価する仕組みがない中で生きるということを意味する.

そいつらを評価するのは大変なので,画一的な評価方法でシステムが回る内は,政府も企業も対応はしないだろうということだ.

 

だからこそ探求者たちは無形の資産として人間関係を育み,多彩な生き方で構成されたコミュニティを作って,そこで生活するようになるらしい.

著者が述べるには,そうした集団は今後も増えていき,無視できない規模の存在になっていくとしている.

そうした集団を社会が必要とした時に,初めて彼らを受け入れるシステムが誕生していくのである.

 

お金を主とした有形資産だけでなく,無形の資産も重要になる

100年という長い時間を幸福に生きるためには,充実した資産が必要になる.

それは資金的な資産もそうだが,他にも様々な「目に見えない資産」が存在する.

本ではそれを「無形資産」と呼んでいた.

 

無形資産は様々なものがあるが,概して金銭に変換できない,もしくは金銭化が困難な資産である.

つまりは,それらの資産は市場で売買することが難しいものである.

 

その最たるものは,伴侶であろう.

友人関係や家族関係も,金銭では売買できない.(やりようによっては……だが)

スキルもまた,無形資産のひとつだ.

 

これらの無形資産は,3つのカテゴリに分類できるそうだ.

  1. 生産性資産

    仕事などで成功し,所得を増やすために必要な資産.
    知識やスキルと言った言葉に代表される.
    重要なのは,これらの資産は絶対的なものではなく,相対的なものであるという点だ.
    つまりは「何をどう学ぶか」「誰に対して役立てるのか」など,自分の居る舞台によってその価値は大きく変動する.
    そのため,仲間やコミュニティもまた,生産性資産の一部である.

  2. 活力資産

    何かをするために必要なエネルギーとなる資産.
    肉体的・精神的健康は,その代表例だ.
    バイタリティと言い換えても良いかもしれない.
    また「自己再生の友人関係」もまた,活力資産の一つだ.
    前向きで親しい友人関係は,困難に立ち向かう時や,打ちのめされた時に,自分が再生するための活力をもたらす.
    アイデンティティの土俵を作るのが,この活力資産である.

  3. 変身資産

    マルチステージの人生モデルを選ぼうとすると,必ず今いるステージから別のステージへと以降する0.5の期間が存在する.
    そこで重要になるのが,変身資産である.
    柔軟性と言っても差し支えはないだろう.
    変身資産の中核をなすのは,自己理解である.
    自分への内省を深め,あり得る自分の将来像を想像し,そこへの変化を促す資産.
    「どのように理解しているか」を変えようとする力が,変身資産の正体だ.
    また多様性に富んだネットワークに接続し,新しい経験に対して前向きな態度を示すことも,資産として重要な価値となる.

 

無形資産は,大まかにこんなものであるらしい.

 

生産性資産は,主に教育や経験によって育まれる.

僕らの世代では,特にこの生産性資産をアップデートしていかなければ,やがて稼ぐ手段を失ってしまう.

 

活力資産については,特に生活習慣や慢性疾患とも大きく関わりがあるものであり,不足すると人間らしい活動ができなくなっていく.

僕が研究していた「フレイル」というのも,大体この資産の不足が原因で陥るものだ.

身体的健康は運動によって得られるが,友好関係や精神状態は,個人の趣向によるところも大きい.

アイデンティティの中核をなす資産であり,これが失われてしまうと,退屈でつまらない,色のあせた人生となる.

 

変身資産は,言ってしまうと「若々しさ」だ.

変化を好む必要はないが,それを受け入れ,取り入れる姿勢やキャパシティを持つこと.

そして変化に対して寛容なコミュニティに属することが,変身資産を高める方法である.

一方で変身にはリスクも伴う.

そのリスクを嫌うことで,現状維持バイアスを高めていくこともできる.

どちらを選ぶかは人それぞれだが,僕らの世代は現状維持の方がリスクになる可能性が高いらしい.

結果として,変身資産もまた,重要な無形資産となるのだ.

 

変革に際した軋轢と痛み

激動の時代になるにつれて,社会様式も,個人の有り様も,大きく変わっていくことになる.

しかして今は,まだ変化の少ない時代と,激動の時代の狭間にある.

 

「変化を受け入れよう」とする者と「現状維持で幸福になろう」とする者の間で,大きな軋轢が発生しているのだ.

テクノロジーが進歩し,人間の寿命が伸びる以上,激動の時代は必ずやってくる.

そして変化に対し柔軟な社会システムもまた,必ず誕生する.

それでも今はまだ,そうなってはいない.

 

実際問題として,優秀だけど評価されない,尖った学生がいる.

それを評価できない仕組み側にも問題はあるが,それでも十分に社会システムが回ってくれるのだから,致し方ない面もあるだろう.

評価されない側が泣きを見るシステムだが,今の時代ではまだそれが合理的なのだ.

 

今はまだ,一斉行進から足を踏み外すと,そのまま踏み殺されかねない時代なのである.

一般とは外れた未知の人生を歩むことに対し,社会はまだ寛容ではない.

道を切り開くという探求者的行為は,大きな痛みを伴う.

 

それでもそこに合理性や魅力を見出した者から,勝手に歩き始める.

そうした者が集まって,変化に対し寛容な社会が,ゆっくりと形成されていく.

 

僕らの世代は,今まさにそういった痛みの最中にある.

どう生きるのかの指針は,あまり多く示されていない.

 

この本では,そうした未知の人生プランに対し,実験的な行いをする人間が増えると説く.

自分の人生の時間というリソースを割いて行われる,壮大な実験である.

そうした実験に後押しされて,社会に変革がもたらされる.

 

「変化に寛容な社会」への変化は,まだ始まったばかりなのだ.

 

感想

長かった.

小さめの文字サイズでびっしり書かれた文字が400ページくらいある本だった.

相当な文量なので,内容の全部はこんなブログの1記事ではまとめきれないと思う.

 

僕が重要だなと思った部分をまとめただけで,8000文字程度は行った.

実践的な話やシミュレートは,ここでまとめるにはあまりも文量が多すぎる.

 

他にも,金銭的な資産の管理や経済の見方など,100年という年月を生きるために必要な事柄が多く記されていた.

無職の僕にはまだ実感のわかないトピックであるが,これから先に必要になってくる考え方だと思う.

 

内容の多くは,「普通に考えたらそうだよね」という真っ当なことばかりだった.

エビデンス仕立てで語られてて,説得力は十分にあると思う.

 

この本を通じて,僕が普段思っていたことや,感じていたモヤモヤの多くが,言語化されたように思う.

就活ひとつを取ってみても,「変化に順応して,変化に寛容に生きたい」と語っても,それを理解してくれる企業は少ない.

人間として厚みがあることよりも,素直に従ってくれることの方が優先されているなとは,実際に面接してみて感じることが多い.

 

既存の道から外れた者に対して待っているのは,多くの軋轢と変化の強制,それに伴う痛みばかりである.

その痛みはとても激しいものであるし,本の言葉を借りるなら,精神的健康という活力資産をこれでもかというくらいに食らい付くしてくる.

 

しかしその痛みこそ,僕が変化しようとしていることの現れでもあるのだという事実は,大きな勇気を与えてくれた.

創造性を働かせ,自分らしさを追求し,周囲の幸福を望んで生きることは,決してつまらない行為ではないのだ.

 

資産をマネジメントするという考え方は,今までの僕が持っていなかった思考パターンだと思う.

金言となるセンテンスは,大量にあった.

 

「自己再生の友人関係」というワードは,僕にとってインパクトのある言葉だ.

2019年10月末に,TRPGをきっかけにして高専時代の友人と再開した.

壊れていた僕の心,言うなれば活力資産を再生してくれたのは,彼らとの日々,彼らとの繋がりであった.

 

その繋がりは,就職活動という市場の中で,今でも僕の背中を後押ししてくれる.

僕の失った活力資産は,そのようにして再生された.

 

生産性資産は,むしろ失ったものの方だ.

休学後はしばらくエンジニアリングから離れて過ごしていたから,コーディングの技術も,勘も,大きく衰えた.

僕の就活がうまく行っていない理由の一つに,生産性資産の貧しさを見抜かれている点があると思う.

 

変身資産は,ここ2ヶ月ほどで大きく得られた.

就活をきっかけに友人といろいろ話すようになったのが,一番大きな理由だと思う.

就活アウトロー採用という場もまた,変身資産を磨き上げる場の一つだったと,今振り返ってみるとそう感じる.

 

僕は変化に寛容になってきたし,変化を望むようにもなった.

自らが変化の当事者でありたいと,そう願うようになった.

 

有形資産は,僕が重要視してこなかったものだ.

生まれた家庭が「一億総中流」の中流家庭,すなわちそこそこに裕福な家庭だったことが,一番大きな原因だと思う.

物欲がないわけではなかったが,所有欲や金欲に対して大きな執着をもったこともなかったし,それが原因で困ったこともなかった.

 

ほしいものは,ある程度努力すれば手に入れられる環境にあった.

逆に言うと,ちょっとバイトしたり親を説得したりすれば手に入るものばかりを,有形資産として求めていたように思う.

 

志向としては倹約家志向なのだとも考える.

お金でできることが増えるのは好ましいことだとは思うが,裕福に生きたいとはそれほど思わない.

お金のかからない範囲にも,優れた娯楽や悦楽は腐るほど転がっている.

それを知っているから,あまりお金に執着を持つことができない……のだと思う.

 

改めて振り返ると,我ながら資本主義社会で生きるには難儀な性格をしている.

誰かの成功は,誰かの失敗の上に成り立っている.

資本主義社会とは,すなわちそれを前提にした社会である.

僕は利他的行動への欲求が強いから,それを良しとすることを,本能的にできない.

 

それでも,現実問題として資本主義に迎合する必要はある.

すべてを受け入れる必要はないが,生きるためにはやはり性悪説も必要だ.

便利なツールとして,資本主義経済を利用するのは間違った行為ではない.

 

現実的思考として,有形資産の管理というものも始めて見ようと思った.

まずは自分の所有しているものや自由に使えるものを,列挙して見ようと思う.

 

また,資産の話の他にも,働き方についても思うところがあった.

 

どうやら僕は,女性的な働き方を望んでいるらしい.

それは女性らしく働くということより,旧来の女性の雇用形態に近いものが,僕の趣向として存在するということだ.

 

仕事を選ぶ際に,次の5項目が,特に選択基準として重要になるという.

  • 時間のプレッシャーが厳しい
  • 勤務時間の自由が制限される
  • スケジュールを柔軟に変更しなければならない
  • チームメンバーと常に一緒にいることが求められる
  • 自分しか担当できず,代替が効かない

 

これらの項目で"Yes"が多い仕事ほど,男性が従事する傾向にあるらしい.

生物学上,女性は若い内に子供を生むから,こうした縛りの強い仕事からは排他される傾向にある.

それは否定できない事実で,だからこそ男性が優先して従事してきた歴史が存在する.

 

今は段々と,そうした傾向がなくなってきているらしい.

女性の社会進出に伴い晩婚化が進んできているというのも納得である.

こうした条件を満たす"男性らしい仕事"に女性が従事するのだから,子作りや子育てといった行為から身を遠ざけるのも,至極真っ当な帰結である.

 

本を読みながら自己認知を進めていたところ,どうやら僕はそうした縛りの少ない仕事をしたいと,そう思っているらしい.

5つの基準に対して,僕なりの立場を示してみる.

 

時間のプレッシャーが厳しい

あまり時間に対して厳しくない仕事がしたい.
工学に携わる以上納期などは大切だが,デスマーチのような身を削る仕事を生業にしたいとは思わない.

勤務時間の自由が制限される

あまり制限されたくない.
全員が全員同じ時間で一斉に働くより,合理性に基づいた範囲で自由に働きたい.
もっと言うと,自分のポテンシャルを最大限発揮して,パフォーマンスを最大化できるような働き方をしたい.

スケジュールを柔軟に変更しなければならない

スケジュール自体は柔軟に変更されて然るべきだと思う.
それが健康状態を,もっと言えば活力資産を食いつぶすような働き方はしたくない.
身体に鞭打って仕事ができるほど,僕のバイタリティは高くない.

チームメンバーと常に一緒にいることが求められる

あまり気にならない.
自分のアイデンティティを尊重してくれるチームなら,一緒に居ても苦ではない.
仕事のオンライン化が進んで,あまり縛りとして強固なものでなくなったのも大きいかもしれないけど.

自分しか担当できず,代替が効かない

あまり気にならない.
こちらもオンライン化が進み,対応できる時に対応することができるようになったためである.
スキルとして自分しかできない物事であれば受け入れるが,押印作業みたいな代理人立ててもできることは,勿論したくない.

 

このように,どうやら僕は"男性らしい"働き方があまり好みではないようだ.

本によると,そうした男性も増えてきていると言う.

むしろ,そうした仕事が男女の別け隔てなく公平にもたらされるようになった結果,男性がそうした仕事に就かなくなっても良くなったとも言える.

 

何にせよ,僕は"従来の女性"に近い働き方が好みのようでもある.

実際問題,家事と両立できる仕事であればそうした仕事がしたいと本気で思っている.

「養子を持ったとしても働ける仕事」が,僕にとっては一つの基準なのかも知れない.

 

僕自身,ホモっぽい性格を多分に併せ持っていると思う.

伴侶のような存在は欲しいと思うが,その対象に異性という条件を持つことがないとでも言うのだろうか.

屈託なく対等に信頼し合える関係を持った相手と,共同生活を送りたいと思っている.

 

シェアハウスとかも,もしかしたらアリなのかもしれない.

就職先に困ったら,ハウスキーピングを始めるのも良いかもなと思う.

 

話がそれた.

何が言いたいかというと,僕は女々しい男だということだ.

まったく,なぜ女の子に生まれなかったのかと思わずには居られない.

 

自分の選社基準のコアが見つかったのは,大きな収穫だった.

僕は"従来の女性"のような働き方を,男の僕でもできるような会社で仕事がしたいのだということがわかったのだ.

 

実際,女性に対して寛容な優れたシステムは,他の変化に対してもそこそこに寛容であるように思う.

産休育休といったものを代表例に,生理的に発生する身体の不調に対して寛容であるということは,個人に対しても寛容でなければそうそう達成できるものではない.

親の介護などもまた,会社から見れば個人の都合で発生するものである.

 

そうした変化に対して寛容では回らない事業も,世の中には多く存在する.

僕はきっと,そうした事業にはあまり強く関わりたくないのだろう.

失いながら,切り捨てながら生きることに,僕は慣れたくないのだ.

 

さて,色々と感想を語っている内に1万2千文字を超えていた.

読む側は,1分あたり600文字程度読むらしいので,ここまで読むと20分もかかるらしい.

こんな駄文を読んでくれる人間がいるのなら,有り難い限りである.

 

そんなこんなで,そろそろこの記事を締めよう.

 

本には思考のきっかけが多分に含まれていたので,それらを整理し,自分の資産の一部にしようと思う.

まずは自分の資産の変化について,時系列にまとめてみたい.

おそらくはそれが,就活にも良い影響を与えてくれるはずだ.

 

本を読んで感じたことは,なるべくメモに取っておいてある.

日常にふと思ったことも書き留めてあるので中身はカオスだが,それを整理するのも悪くない.

自分の思考のブラックボックスを解析し,自己理解を深めたいと思う.

 

明日は就活の予定がない.

なので一日中暇になる.

 

マイナンバーカードでも取りに行きつつ,散歩もしようと思う.

速歩きでのジョギングはなかなか負荷が高くて良いので,そうしよう.

 

後は部屋のリプレイスもしようと思う.

エアコンを掃除したら,なんか模様替えもしたくなってきた.

要らないものの整理も兼ねて,快適な環境を整えたいと思う.