イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

名前も知らないおじさんとお話してきた

大学行ってきた

今日は卒業証明書と成績証明書を発行するために,大学に行ってきた.

電車が間引かれてなんだかなぁってなったので車で行ってきた.

 

片道1時間くらいドライブだったが,曲をかけているとすぐだった.

Bluetoothスピーカーは偉大である.

www.ankerjapan.com

ちなみに使ってるのはこれである.

2年前くらいにセールになってたから3500円くらいで買った.

なかなか便利である.

 

ちなみに道中は東方の原曲をかけてた.

ゲーム本体からぶっこ抜いた.

サントラとかがないので致し方ない.

 

さすがに伝説級の名曲揃いである.

アンチの僕を唸らせるパワーがある.

 

そんなこんなで大学に行ってきた.

特に感慨などは沸かなかった.

 

公園行ってきた

帰り道の途中,いい感じの公園を見つけたので行ってきた.

高低差がそこそこある公園だった.

1時間ちょっとの間歩き続けたので脚が痛い.

 

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ご立派さま

散策中,ご立派さまを見つけた.

周辺にはたけのこ特有の匂いが漂っていたから探してみたら,デカいのが見つかった.

これだけ育っていても小さいやつと匂いがするのだから,自然というのはなかなかに面白いものである.

 

散策で疲れたタイミングで近くにベンチがあったので,そこに座った.

2つのベンチのうち,片方におじさんが座っていた.

 

なんとなしに挨拶してみた.

相手もまた,気さくに挨拶を返してくれた.

笑顔の素敵な好々爺だった.

2本の青いトレッキングポールが,若々しさを表しているような気がした.

 

オーソドックスに,天気の話を振ってみた.

僕は汗ばんでいたので,「暑いですね」と一言.

そうしたら,おじさんは「いい天気だ」と.

 

外気はそこそこに暑いけど,雲が覆ってくれていたので,照りつけるような酷暑ではなかった.

だから,こうして歩きに出るには丁度いい天気なのだ.

そう,おじさんは言っていた.

 

おじさんはどうやら70代のようで,こうして平日に散策に出るのが好きなのだという.

コンビニで弁当と飲み物を買い,無軌道無計画にどこかの公園を目指して歩いているそうである.

 

今日は片道2時間くらいかけて,小山の上にある公園まで来ていたそうである.

もうひとつ隣の公園まであと1時間くらい歩き,バスで帰るつもりらしい.

 

平日昼間の方が人がいなくて,静かに過ごせるのが好きだそうだ.

だからいつもこうして,気ままに散策に出向いているのだと言う.

 

歳をとると,死に怯えながら過ごすようになると,おじさんは言っていた.

僕も就活で老けて,死を思うようになった.

それでも,おじさんの方が遥かに死の恐怖に晒されているのだ.

 

その姿を見て,僕は自分が不甲斐なく思う.

歳も僕の方が若いし,やれることも僕の方が多い.

なのに,僕は何も成せていないし,何者にもなれていない.

 

僕はたかだか1時間程度の散策で,汗だくになっていた.

一方,2時間かけて山の中を歩いてきたおじさんは,逆に汗一つかいていなかった.

 

おじさんは僕よりも偉大で,優れている人間なのだと,すぐに感じることができた.

歳は遥かに違うが,若々しさだけで言ったら,僕よりもよほど若くみえる.

実際問題として,おじさんはおそらく若い人なのだろう.

僕よりも,若々しくあろうとしているのだから,そこには若さというパワーがあるのだ.

 

それでも僕は,おじさんにはない未来を持っている.

僕は20代で,おじさんは70代だ.

人間が生物である以上,老化の理から逃れることはできない.

だから未来に残された時間は,僕の方が遥かに大きい.

 

歳をとると毎日があっという間だと,おじさんは言っていた.

僕も最近,毎日があっという間にすぎると,良く感じるようになった.

おそらくは,僕も老けてしまったのだろう.

 

歳を取るに連れて,人生の残り時間の短さにおそれを抱くのだと,おじさんはそんな不安を口にしていた.

トレッキングポールを使っているのも,腰が悪くなったからだと言っていた.

これがないと,坂道を登るのがキツイらしい.

 

日本の人口の大多数は,おじさんのような高齢者で構成されている.

それでもおじさんは,老人とひとくくりにするには,あまりにも若々しく見えた.

 

人生100年時代だと言われている.

僕の残り時間は,平均で語ればあと70年以上もある.

それでも,あと70年しかない.

僕はその時間で,何かを成し,何者かになって,そして死ぬ.

何も成せなかったとしても,無を成した者として,何者でもないという何者かになるのだと思う.

 

おそらく,死は僕を救済などしないだろう.

幸せな最期を迎えられるなどという幻想は,僕の中にはない.

一生をかけて死から逃げ続けて,それでも死に捕まったとき,僕は惨めな死を遂げるのだ.

どれだけ若くても,死は生の後ろについてまわる.

生とは,死の幻想なのだ.

 

結局,おじさんとはそうした話をしただけで,名前も明かさなかったし,特段何かがあったわけでもなかった.

ただただ公園で出会って,挨拶をして,会話をしただけだった.

ただそれだけの,なんてことはないイベントだった.

 

何か大きな収穫があったわけでもないし,何か発見があったわけでもない.

脚を休めるついでに,日常会話をしただけである.

 

会話に応えてくれたのがこのおじさんで良かったと,心から思う.

人と人との間に心を通わせる機会は,この日本から急速に失われてしまったもののひとつだと,僕は思う.

何気なしに行った公園で,何気なしに話しかけた見知らぬ相手と,自分の不安について打ち解け合う機会など,この日本では相当に貴重であろう.

 

無目的でも,こうした交流ができたことを,嬉しく思う.

無軌道無計画で,無理をせずに心がおどることをするというのは,おじさんが実践していることの本質だ.

僕もそのように生きることができたらと思う.

 

明日は人材系の企業と面談がある.

就活アウトローで知った企業だ.

明日もまた,今日のように,対話を楽しもうと思う.