イドのなんらか

TRPGしたりキャンプしたりするITエンジニアの人間が書く雑記

就活が再開した

就活が再開した

今日は3社分の企業説明会に参加してきた.

時間にして6時間程度かかった.

 

業種は営業系,ソフトウェア系,商社系と三者三様だった.

就活アウトロー採用を経由して知り合った企業だから当然であるが,社員の声を聞いたり話したりしている分には,居心地が良さそうな企業ばかりである.

 

企業としても,どこも面白そうだった.

営業に関わるにしてもエンジニアリングはし続けることになるだろうし,商社に入っても結局の所は工学に携わる羽目になる.

僕がこれまでにやってきたことは,きっと無駄にならないのだろう.

 

「何を認識しているか」ではなく「どう認識しているか」を大切にしたいと,最近の僕はそう思うようになった.

物事の覗き込み方は人間によって違っている.

そんなことは当たり前である.

 

違いを受け入れるのは難しい.

しかし,そこに違いがあることを受け入れることを諦めてはいけない.

違いを正す必要はない.

ただ単に,違いは違いとしてそこに在るのだと,そしてそれを認めたいと,そう思うようになった.

 

面白いなと思ったのは,3社ともそういうメンタルを持っているようであるということだった.

個人主義といえば個人主義だが,確かにそこには利他的な行動理念が存在しているのである.

 

僕が就活するにあたってITエンジニアに希望業種を絞るのは,実は間違いなのではないかと思ってきた.

というのも,どうやら僕はテクノロジーで競争したくないという,反知性主義的な思考回路を持っているようなのである.

 

エンジニア偏差値だのプログラミングスキルだの,そういうものに興味はない.

プロコンはすごいと思うし,AtCoderをやってる人も尊敬する.

きっと彼らは,真にITエンジニアに足る存在なのだと思う.

 

だけど,僕はそう在りたいとは思わない.

僕は緩やかにテクノロジーを使い,時にテクノロジーを生み出し,緩やかに社会と関わることができれば,それで良い.

 

僕は昔からずっと,競争が苦手だった.

枠を争って競い合うイベントの多くに対し,当事者になりたくないと思い続けてきた.

スポーツはやってて楽しいと思うが,試合に出たいとは思わなかった.

受験も嫌いだった.

合格者の枠を競って奪い合うシステムは,僕の心の平穏をひどく疵付けていたと思う.

 

試験自体は嫌いではない.

絶対的な合格基準を満たせば全員幸せになれる選別は,割と本気になって取り組むことができる.

 

そんなんだから競技化したプログラミングに興味が沸かないのも,至極当然の帰結だ.

誰かが引いた評価基準の下で1位を目指したことがないし,目指そうとも思えないのだ.

本当に,臆病な性格だと思う.

 

ただの筋トレマニアでは,スポーツ選手に追いつくことはできない.

趣味プログラマーがコンテストに出ている本物のプログラマーに勝つことも,能力的には不可能だ.

スキルを身につけるために競争するという発想は,きっと合理的なのだ.

 

戦争が発明の母となるように,競争することで人は大きな進歩を手に入れる.

その競争から目を背けている自分は,やはり反知性主義者なのだろう.

 

スキルなんて,いつも足りてない.

やりたいことが目の前にあるとき,必要なスキルはいつだって不足している.

それはエンジニアになっても,営業になっても,商社マンになっても,きっとずっと,人生の中で発生し続けるイベントなのだろう.

 

なら僕はそれを受け入れなければならない.

知らないことを受け入れる痛みを,一生涯背負い,愛していかなればならない.

 

未知のものを既知にしていく作業に,ゴールはない.

僕が全知全能になるまで,その作業は一生続いていく.

だからせいぜい,これも楽しませてもらおうと思う.

 

それはどこで生きていてもずっと続けなればならない儀式であり,呪いであり,そして祝福なのだ.