僕は朝でも生きている
希望を持って朝を迎えるということ
昨日はよく眠れそうだとブログに書いたとおり,本当によく眠れた.
明日は良い一日になると口に出して寝たのが大きな理由なのだと思う.
明日に希望がなければ,今日を迎えるための希望がやってこないのである.
朝起きて人間らしい生命活動を行うということは,どうやら非常に大切なことらしい.
というのもぼっちソンの2日間,なんと僕はきちんと朝起きて活動することが出来ていたのである.
深夜2時くらいまで起きて,そこから翌日の11時くらいまで寝てた人間とは思えない偉業を成し遂げたのである.
希望を持つことが,希望を引き寄せてくれるのだなと思った.
そしてその希望を持たせてくれた家族や友人には,感謝の気持ちしかないのだ.
もしも僕が一人で絶望を抱え込んでいたら,きっと今日という日はやってこなかったのではないかと思う.
1周間前の今日に,僕の本心をこのブログに打ち明けてよかったと,心の底から思う.
そしてその拙い表明を見て,応援してくれた友人には本当に感謝しかできない.
きっと僕は,何度も彼らにありがとうと言う言葉を贈ることになるのだと思う.
僕はニート生活を通じて,かつての誇りや尊厳をすべて泥に投げ捨ててしまった.
だから,今の僕には自らが誇れるものなんて,なにもない.
そんな空っぽの僕だからこそ,彼らに感謝して生きることができるということを,最初の誇りとして人生に積み上げていこうと思う.
それがいつか誰かの誇りとなる日が来たら,その時こそ僕は自分を誇れるようになるのだろうから.
朝飯を食うということ
さて,今日も僕は早起きすることができた.
よく眠れたのにも関わらず,起床時刻は6:45だった.
希望を持って朝を迎えると,人間という生物は腹が減ってしまうものらしい.
朝飯は食べない習慣が中学2年くらいの頃からずっと続いていたが,24歳の今になってようやく,空腹という本能が寝起きの僕に食事を求めてくるようになった.
しょうがないから,僕は近くのコンビニで飯を買った.
今日はツナマヨおにぎりと,ホットスナックのコロッケも買った.
これが今日の起床から1時間経った後の出来事である.
コンビニで得た戦利品を家に持ち帰ると,僕はおもむろにおにぎりを食べ始めた.
コロッケも食べた.こっちも美味しかった.
でもセブンイレブンのコロッケは美味しいが,朝には重いなって思った.
今度からはおにぎりだけにしよう.
コロッケは昼か,それとも夜に食べるべきものなのだ.
少なくとも,僕にとっては.
家の外に出たことで,今日もセロトニン等々の神経伝達物質とかが元気に体内を駆け巡っているようである.
それは大変好ましいことだ.
明日も早起きして,同じようにおにぎりを買って食べてみようと思う.
明後日もそうするかはわからないが,そうできるように夜眠り,朝起きたいと思う.
ルーチン化できることは,しておいたほうが楽である.
ツナマヨおにぎりの味に飽きるまでは,しばらくこの習慣を身につけられるよう努力をするつもりだ.
下らない駄文だが,アウトプットすることはとても重要だ.
それはこのブログから得た数少ない,だがとてもとても大切な教訓なのだ.
一日一更新と言わず,感情や思考が溢れた時は,こうしてここに書きなぐっていこうと思う.
自然言語の持つ力は偉大なのだ.
さて,この記事を公開したら,早速今日の就活を始めようと思う.
バイトの選考書類の提出をした後は,他の企業の採用にもエントリーしていきたい.
他にも受けられるアルバイトの募集にも,応募をかけてみようと思う.
就活を初めて1周間程度経ったが,どの企業が良いのか,どの企業になら入れるのか,どの企業なら僕は幸せになれるのか,まだまだ知らないこと,わからないことばかりだ.
きっとそのすべてを知ることは,出来ないのだろう.
選択して,妥協して,適応して,そのようにして僕は大人になるのだ.
よし,今日も頑張るぞ!!頑張れ俺!!お前なら絶対できる!!!お前なら絶対幸せを掴める!!!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお